jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

性の多様性,障害者に対する筆者の私見

身体的な多様性は,障害と性の多様性があるだろう。筆者は,この多様性については社会が容認すればいいと考える。LGBTQは個人の考え方や感じ方なので尊重するし,障害者についてはある意味すべての人が何らかの不具合を持っているわけだから,各自が頑張り,周囲もこれを応援することで解決につながる。しかし,それを社会システムがすべて受け入れる形にできるのか,というと,そういうわけには行かないのが現実ではないだろうか。

 脚が不自由だからといって,スロープさえ作ればいい的な発想では,満足のいく解答にはならない。人によって坂の強さの感じ方はそれぞれである。しかしだからといって,スロープやリフト,エスカレーターなどをあらゆる場所に付けるわけにもいかない。社会システム側からすると,「配慮しました」「模索してます」ぐらいのポーズしか結果としてできないのである。

 LGBTQについても,男女という2択で割り切れない。特に,物理的な2択となるトイレやお風呂などの公共設備をどうするのか,というところは,なかなか結論が出ないだろう。権利があるといっても,一般の人にも権利があり,これも人によって捉え方がさまざまだからである。コミュニティができあがり,活動範囲が広がったとしても,単純に外見の特徴だけで2択できる環境での全面的な権利主張は,社会秩序の乱れにもなりかねない。

 筆者は,LGBTQの方同士の婚姻については問題がないと考えている。どちらが世帯主になるか,養子などの子供の養育権をどうするか,財産分与をどうするか,が決まっていれば,問題がないからである。別に誰も迷惑を受けるわけでもないので,制度としてきちんと追加規定すればいいことである。民法で「男女両性の合意」などと書いてある部分を,補足すれば済む。婚姻が成立すれば,夫と妻で行動するのに逆になんの問題もないのではないかと考えるのである。

 もう一つ物議になっているのが、スポーツ参加である。心は女性でも男性の身体であれば身体的能力は女子よりは高い。したがって、女性として参加しては記録がむちゃくちゃになる。逆のケースをわざわざ取るケースは少ないだろうから,問題にはならないと思われる。しかし,見た目が男性っぽく見えても女性の身体である場合もある。身体検査をするのかどうかは,プライバシーの領域に入る。難しい問題である。

 普段の生活は自由に思うとおりに行動すればいいが,トイレ,風呂,スポーツについては,慎重に周囲のことも配慮したうえで行動をしていただきたい。トイレは共用のものを利用する,銭湯はさすがに避けていただき,ホテルでも大浴場は避けていただく,スポーツは,それぞれの競技団体の判断で規定してはどうだろうか。

 いずれも個人的な意見である。