2023/8/19 テレビ朝日系「池上彰と林修が初タッグ!日本の今を徹底解説」を視た。予告編で,この2人の考えが異なる部分があると知ったからである。
考え方に差が出たのは,反語という日本語の独特の言い回しに対してで,あとは2人ともほぼ共通した認識だったと思う。
筆者が聞きたかったのは,日本の教育についての2人の考え方だった。林氏が,もともと学校は勉強したい人が行くところだったことが紹介され,今の大学が「大学卒」という“資格”を取るために行っている,との解説があった。これに対して,池上氏が大学とリベラルアーツの関係を述べた。
大学が専門学校化しているから人材が育たない - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2022/6/5 と筆者は書いている。大学を選んだ時点で,人生の方向が決まってしまうのが今の社会なのだが,筆者は大学に入ってからさまざまな経験,学習,研究をした上で自分の進路を決め,専門性を深めて行くプロセスがあることが重要だと考えているので,最初から専門が決まっている単科大学(カレッジ)よりも総合大学(ユニバーシティ)が本来目指すところではないかと思っている。
したがって,大学卒は資格ではなく,在学証明に過ぎず,そこで何をしたか,何を得たか,何を考えたかは,その人そのものを見なければ分からないと思うのである。資格ならばその能力を持っていることになるが,専門知識ではなく,“専門マインド”とも言うべき志とか意欲とか関心とかを醸成する場だと思うのである。
ただし,難関校と呼ばれる国公立・私立大学においては,その大学卒は「ブランド」にはなり得る。そのブランドにふさわしい中身を持っているかどうかは,その人次第である。本当にブランドであり,資格であるためには,きちんとその力を判定した上で卒業させなければならない。日本の大学がエスカレーター式(あるいはトコロテン式)にどんどん人が吐き出されていくだけでは,本当に社会が必要な人材を輩出することはできない。実際,東大クイズ王専門学校になってしまっては,ブランド価値もなくなってしまうというものである。むしろ,卒業が非常に難しいと言われるアメリカの大学は,ブランドだと思うのである。
今の日本の経済を支えているのが,海外投資での収益,観光によるインバウンド需要,そしてアニメなどの権利収入だという。しかも,商社がバブルの頃に集めた資金で海外で買った鉱山などの投資案件が,収益を生んでいるという。これはやはり非常に不健全であり,日本の末期段階を示すような気がする。やはり,世界に対して発信できる何かを持たなければならないが,2人とも答えを出すのは難しいという結論だった。
日本の大学を卒業して,それが仮に“資格”や“ブランド”だとしても,これも番組内で指摘されていたが,あくまでも日本国内でのみ通用する「ガラパゴス」資格でしかありえない。日本というマーケットは,確実に縮小している今,ガラパゴスでは生きて行けない。そこのところももう少し提案してほしかったところである。
2回め,3回めの2人のコラボ企画をまた期待したい。