2000年以降、海外に留学する学生が減っている。海外にフラッと旅行する学生も減っている。みんなチマチマと「就活」にいそしんでいる。何しろ、卒業しても行き場がなくなりつつあるので、その狭い門をくぐろうと必死である。しかもくぐって入った先に、安定した、あるいは遣り甲斐のある職場が待っているとは限らない。
かつて大学には2年間の教養課程があり、自分の進んだ学科と関係ない講座を受講できた。筆者は工学部を選んだが、教養課程では歴史や文化の講座も履修した。大学のある地域の歴史や文化も学びたかったからである。工学部とはあまり縁のないフランス語の講座も第3外国語として履修した。留学や海外旅行には行かなかったが、全国各地の工場や発電所の見学ツアーには1年早く参加した。原子力発電の実験炉も見学した。こういう生の経験や知識、現場のニオイや熱さなどを体験したことが今も貴重な感覚として持っている。エンジニアや研究者と臆することなく話を聴けるのは、大学時代の自由な環境があったからだと思っている。
今は、大学に入学してもいきなり専門教育である。それまでの入試対策で社会性もない状態で、さらに知識だけが上乗せされていく。行き着く先は資格試験に合格することである。知識中心で体験のないまま社会に放り出される。頭でっかちの人間だけが生産されていく。
大学は、入ってからさまざまな経験をするための貴重な時間を与えてくれるものだった。途中で別の学科に編入することもできた。しかし、今は専門学校化している。しかし、その行き先がバラ色ではない。本当に自分のやりたい仕事かどうかも分からない。一般企業ならさらに、本当の雑用から始まってしまったりする。先が見えないためにすぐに辞めてしまう人も多い。すべて無駄な時間になってしまう。
学生アルバイトも、授業料のためというケースが増えている。社会経験でも何でもない。
かつて「人財育成」と言われた時期があった。人材は企業や社会にとっての財産である、という考え方である。創造性や可能性に次の時代を託すぐらいの勢いがあった。今はただの数合わせであり、求める側も売り込む側も、はまり込めればいいという程度になっている。かつての公務員レベルの活気のなさである。
創造性は発揮したとしても、雑学王だのクイズ王だの映像お笑い(これをYoutuberとする)だし、公務員のくせに公金詐欺を働く不届き者ばかりで、知恵の使い方を間違っている。犯罪はダメという抑止力がなぜ想像できないのだろうか。
農林水産業+ICT、エネルギーという外貨の稼げる仕事を拡大しなければ、日本に未来はない。