jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

乗り物の運転士になりたかったが--現実は厳しい仕事である

電車が大好きな女性タレントが,実際の運転士の訓練に参加するCMがあった。運転体験,車掌体験などの場面が和やかに展開されていた。しかし,安全確認のための指差し呼称の動作や実際に声を出すことを身体で覚える訓練は,厳しいの一言に尽きる。CMでも「厳しい訓練を経て」と紹介されている。

 JR福知山線で2005年に起きた脱線事故は,運転士が電車の遅れを取り戻そうとして規定以上のスピードを出したことでカーブを曲がりきれず起きたとされている。運転士にとっては無謀運転ではなく,定時運転に近づけようとした無理運転だったと考えられる。それほど,運転ダイヤは過密であり,1編成の遅れがすべての編成の遅れにつながる。自分だけの責任では済まない。

 運転士は,常に時間に縛られている。しかも安全運転が求められ,さらに乗客の快適性も損なわないような丁寧な運転が求められている。この緊張状態が1日中続く。

 電車の運転士だけではない。飛行機のパイロット,配送トラックの運転手など,乗り物の運転手は,すべて同様のストレスを持っている。

 しかし,経路上にはさまざまな障害が待っている。自然災害も,天候も,他の乗り物や歩行者,乗客などとの干渉も,1分1秒の遅れにつながる。

 仕事完遂への責任,時間厳守の責任,安全確保の責任,それらの重圧を受けながら仕事を続ける必要がある。一瞬の気も抜けないはずである。

 飛行機では,オートパイロットによって巡航運行は飛行機任せにでき,神経を使うのは離着陸時である。それでも,途中の天候悪化や機器の不具合などに対応する必要がある。

 一方,電車やクルマも現在,自動運転が試験評価段階に入っている。他の交通機関や人との干渉が,飛行機とは桁違いに多い。まず路線が独立している電車から自動運転が導入されるだろう。新交通のような,まったく独立した路線ではすでに自動運転が実現している。

 クルマの自動運転は,技術的に非常にハードルが高いが,運転者の個人的な資質や健康状態によって事故が起きる可能性がある。自動運転の機械的な故障による事故と,どちらが安全かを考えると,いずれは自動運転が必要になってくると考えられる。

 筆者は,クルマの運転歴がもう45年になる。現在乗っているクルマはもう23年になる。エンジンはコンピュータ制御だし,リモコンでドアのロックはできる。窓はパワー運動である。しかし,昨今のキーレスキーでもスマートキーでもない。ハンドブレーキも手でワイヤーを引っ張る手動式である。ドアミラーを開くのも,前照灯を点けるのも,すべて手でスイッチを操作する。

 今のクルマは,どんどん便利機能が加わっている。暗くなると勝手に前照灯が点く。しかし逆に,前照灯を消したくても消せないクルマも登場している。オートスライドドアによって,ドアが閉まりきらないうちに動かすこともできる。こうした機能によって注意が散漫になり,逆に事故につながる危険性もある。

 自分1人で運転しているときは,周囲のことに注意を向けるだけでいいが,家族など同乗者がいるとやはり緊張する。シートベルトは着けたか,ドアは閉めたか,運転中の会話にも緊張する。

 仕事でクルマを使う可能性はあったが,交通事情にかかわらず定時に到着しなければならないことを知って,あきらめた。タクシーの運転士も募集が多いが,渋滞につかまれば客に不満に思われるし,そのための抜け道には逆に事故の危険が待っていたりする。自分の都合で,自分がガマンすれば済む自家用車の運転とは,まったく異なるストレスが待っている。

 乗り物の運転士は,厳しい仕事である。責任感もあるし,乗り物を動かすことは楽しい面もある。しかしそれは,電車運転ゲームではない。タレントが前に出て宣伝する場面ではない。

 もちろん,世の中の8割の仕事は,時間に拘束され,相手との関係に神経を使わなければならない。またモノづくりの現場のように,機械のスピードに合わせて仕事を続けなければならない。チャールズ・チャップリンの映画「モダン・タイムズ」を地で言っている。

 ほとんどの仕事は,「定額働かせ放題」であり,「繰り返し同一作業」である。想像力や発想力を生かして生産性を上げ,仕事のストレスを減らし,さらにミスも減らす,といった工夫をするよりも,単純労働をさせる方が,経営側からすると簡単で便利である。いずれ,人的な関係が厄介になってくると,完全自動化を目指すのだが,そうなればもはや改善も発展もなくなる。仕事に対するやりがいを高め,忠誠心を持ってもらう方が,結果としてはいい方向に向かうはずだが,今の日本のような経済停滞の中では,あらゆる仕事がブラック化していると思われる。

 日本が世界の中でどういう貢献ができるのか,もう一度真剣に議論し,選択と集中で世界に貢献できる仕事を増やし,やりがいと成果と収入が得られるような好循環を作らない限り,日本の未来はない。筆者はそのカギは水素エネルギーと食料生産にあると確信しているが,今のような民間のボトムアップ的な地域活性化のようなやりかたでは,結局は国としてのまとまりがなくなると考えている。すくなくとも,運転者を含むエッセンシャル・ワーカーの給与体系を変えなければ,医療,教育,流通のすべてが破綻する社会が訪れる日が近いと危惧している。