jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

分化しすぎたエンジニアリング--企画・設計に自由がなくなり、製造に膨大な投資とコストのリスク

工学が扱う分野は、一言で言えばモノづくりである。製品という形になることで、価値が生まれる。GDP を支える武器である。

    しかし、家内工業の時代では、企画から設計、製造まではワンストップでできていた。売りたいモノ、売れそうなモノのアイディアを考え、それを作って売り、売れたかどうかを判断して企画・設計にフィードバックして、より良いモノを生み出すというプラスのシナリオができた。今なら伝統工芸がそれに当たる。当事者は職人であり、匠と呼ばれる。

    ところが、工業生産になると、分業になる。企画、設計、試作、評価などをおこなう開発部門と、材料調達、製造、検査などの製造部門、そして販売部門にまず大きく別れる。それぞれの担当者が別の場所にいることも当たり前になる。コミュニケーションがなくなり、責任の擦り付け、あるいは隠蔽も起きる。

    特に製造部門は、毎日、毎時同じ作業の繰り返しになる。正しくできて当たり前と言われては、仕事への情熱も薄れてしまう。そこに,コストだ,納期だ,品質だ,と縛りを加えられては,カイゼン(改善)のアイディアも出てこないし,議論する時間もない。まして,社員中心だったころは時間外でミーティングすることも多々おこなわれたが,非正規社員,パート,アルバイトなどほぼ時給で雇われた人たちは,就業時間が終わればサッサと帰ってしまう。整理整頓はおろか,コミュニケーションすらなくなっているのではないのだろうか。

 かつて,町工場で珠玉の技能を凝らして開発した製品が,注目された時期があった。Appleの初代iPhoneに使われたステンレス筐体,NASAのロケットの先端カバー,そして世界を席巻している小型リチウム電池の薄型パッケージなどである。大手メーカーの下請けとして黙々と部品を作っていく中で,アイディアと挑戦の結果,世界に認められた。それを見抜く目を持った海外の技術者の目もあった。大手の言いなりにならないよう,中小企業ならではのオリジナル製品を生み出そうという意欲があった。

 令和の現在,日本の大手メーカーは納期短縮とコストダウンだけが目標になってしまった。そのしわ寄せは関連する中小メーカーに値下げ要求として回され,子会社イジメとなる。同時に大手自身が検査偽装などの不正に手を出してしまう。社内コミュニケーションも悪くなり,情報が上に行かなくなり,内部告発などという情けない方法でしか発覚しなくなる。

 これまで,製造現場の職人技に近い技術を持った人材は,工業専門学校が輩出していた。多くの時間を技能実習に充て,即戦力として活躍できる場があった。しかし,主に理論的な講義を受けた大学卒業生が現場に配備されても,ほとんど役に立たない。現在の大学工学部は,専門学校化していると言われる所以である。

 さらに,製造現場が自動化したことで,現場の技術者はその装置が順調に動いていることをずっと監視することが業務になっている。すべて装置のスピードが優先であり,人間の認知能力を越えている現場が少なくないだろう。1日中極端なストレス下に置かれることになる。また装置が不具合を起こせば,異物混入なども起きやすい。その不具合を感知するのは人間の目(異常動作)と耳(異常音)頼りのことも多いが,その五感を研ぎ澄ますことにやりがいを覚えているかどうかも怪しくなってくる。

 一方で,同じスピートで排出される製品の不具合を見つける目視検査は,人間の目に頼らざるを得ない状態である。不具合品が出てもおかしくない。ここでも極端なストレス下に1日中さらされる。

 最先端技術で作られた原子力発電所も,これを管理・運用することも,メンテナンスすることも,そして廃炉に持ち込むことも,今,ほとんど誰も技術やノウハウを持っていない。理論技術者が育っていないからである。ロケットの打ち上げがたびたび失敗するのも,モノづくりへの技術が薄れてしまった結果ではないだろうか。

 筆者が推す水素エネルギーは,プラント産業である。しかも水素は金属を劣化させるので,メンテナンスも重要である。2つのシステムを交互に運用してメンテナンスするタンデム式で,劣化による不具合を防ぐ方法はすでに提案済みである。

 もう1つの陸上養殖,植物工場は,環境コントロールが決め手であり,AIを注ぎ込んでブレを最小限にするように運用すれば,基本的な理論計算は要らない。誰でも参入できる領域である。

 この分野に,投資と人材投入をして,安定したエネルギー・食糧生産をすることで,世界にエネルギー需要,食糧需要に答えていき,日本の存在意義を高めることが必要である。ロケットや人工衛星,コンピュータも結構だが,これは軍事技術がなければ育たない。まして,ゲームやアニメなど,人間が生活するのに無くても済むようなものにのみ力が入っている日本は,逆に人類の感性を破壊しているとも思えるのである。

 モノづくりの原点に立ち戻って,ユニークな製品を創出できる人の登場を期待したい。もちろん,筆者も日々,アイディアを練っている1人である。