jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

政策論争のない選挙戦ほど国民,市民,都民には虚しい--比較広告はもうたくさん

東京都知事選挙2024が2024年7月7日に予定されている。本日6/1時点で話題になっているのは,立候補を表明している立憲民主党参議院議員蓮舫氏と,立候補を今日時点で表明していない現都知事の小池ゆり子氏の,互いを批判し合う選挙前のやり取りばかりである。これに,政治評論家,元大阪府知事,元宮崎県知事,タレント,MC,そしてYoutuberまでもが,それぞれのSNS上で一方的にコメントして,批判論を展開している。

 選挙が開示され,立候補者が確定し,選挙運動が始まったとしても,最初から歪んだ論調で始まっている選挙戦に対して,今回は都民が,そして国政に対しては国民が,地方自治体においては市町村民が,冷ややかな視線を送っている。日々,どうやって倹約し,どうやって1日を過ごすかしか考えられない追い詰められた状態で,1回何百億円も使う選挙を正当化している政治家や,それを周辺でツマミにしてWeb広告費を稼いでいるネット民に対して,飽き飽きしているのである。

 蓮舫氏と言えば,筆者の記憶に強烈に残っているのが,スーパーコンピュータ開発に対する批判である。「世界2位ではいけないのですか」という,“存在するものを否定する”論調は,現在も健在だった。否定するのは簡単なのである。

 周辺でコメントしている人たちも,揚げ足取りだったり,またそれをメディアが一部だけ取り上げて批判する。言葉尻を捉えた中傷合戦になっている。

 政治家にとって,武器は地盤,看板,カバンという3つのバンだと言われているが,もうそんな時代ではないと思う。二世議員の腰砕け状態,党推薦が逆風になり,地元に持って帰るお金をそもそも国が持っていない。そんな時代に必要なのは「政策」であり,それを実現するための具体的なシナリオである。

 小池都政では,ちょうど新型コロナの時期と重なり,スピーディーな政策が求められた時期に小池氏の“軽口”な「キャッチフレーズ政策」が話題になった。メディアが食いつくことを,元メディア人だった小池氏が最大限活用した形である。メディアでの拡散という意味では効果があったが,都民には負担が大きかった。しかし,今は虚しい響きとなって残っているだけになってしまった。

 6月20に都知事選挙が告示される。選挙が始まって具体的な政策論争が展開されることを望みたい。それまでにお二人には,学歴問題,国籍問題というそれぞれの疑惑をすっきりと説明して,自身の行動を決めていただきたい。