jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」--国の政権を担う前にまず地方の長の経験を

立憲民主党の新代表に泉健太氏が選出された。代表選挙戦の間に,「京都で泉ケンタを知らない人はいない。常に市民と対話しているからだ」と言われたのが印象的だった。京都選出の衆議院議員として活躍されていたからだろう。

 さて,政党の代表になられたわけだが,正直言って「この人に国政を任せていいのか」という視点で見るとはなはだ心もとない。なぜかな,と考えてみた。

 まず議会議員は,「市民の要望を吸い上げて中央に伝え,予算を持って帰る」という仕事であり,リーダーではない,というところが挙げられる。これはほとんどの野党メンバーに当てはまる。いや,与党メンバーも,実は同様といえば同様である。

 野党は,国会などの議会において与党の政策に対する意見を出して政策闘争をするのが仕事である。しかし,現在の野党は,与党の政策に反対し,与党議員の過去の行為を引き合いに出して辞任に追い込むことばかり目立つ。消費税をなくすという政策を挙げて,その分は議員の無駄な経費削減で補う,という話である。では,その野党が政権を取り,議員の半分がその党の議員になった場合,この経費削減によって議員活動ができるのだろうか。何となく餅に描いた絵のような政策である。

 現在の野党議員の中で,地方行政の長になった人はどれぐらいいるだろう。目立っているのは日本維新の会の松井代表と吉村副代表(いずれも大阪府知事大阪市長),その前の橋下徹氏も大阪府知事経験者である。立憲民主党,国民民主党日本共産党社会民主党と見てきても思いつかない。与党を形成している公明党もしかりである。

 筆者は,政治家には小さいながらもリーダーとしての経験が必要だと思うのである。政策を作ること,多くの意見を調整して政策の実現に向けて努力することによって,政治,行政とは何かを体感しなければリーダーとしての資質は育たない。

 アメリカ大統領の多くは,州知事経験者である。合衆国というだけあって,それぞれの州は独立した自治権を持っている。1つの国と同じである。それだけに,州知事の権限は大きい。この経験が国政に大いに生かされていると思う。

 政権与党の場合,代表になることは国の政権のリーダーになることである。ここでも,地方の長になった人は少ない。現在の岸田氏も,その前の菅氏も知事や市長の経験はない。その代わり,政権与党の中でさまざまな省庁のリーダーである大臣の経験が,政権のリーダーへの基礎になるという仕組みになっている。

 野党の場合,野党の代表になっても,野党の三役になっても,リーダーシップを発揮する場面は限られている。やはり,「政治」「行政」の実戦経験が,実際の政策論争においても生きてくる。

 「鶏口となるも牛後となるなかれ」ということわざがある。起業して小さい会社でも社長になる方が,大企業に入ってうだつが上がらないよりも優れている,立身出世,みたいな意味に使われることが多い。政治家の場合も,国の政権を担う前にまず地方の長の経験を踏むべきではないだろうか。現状では,「自由民主党公認」で選挙に勝つのは,「牛後」になるだけのような気もする。

 筆者の経験から言えば,いくらトップにいるようでも学級委員長はリーダーではない,というのに似ている。先生と対抗する,あるいは学校と対抗するには,少なくとも生徒会長や自治会長になる必要がある。ここでも経験が,のちの政治活動でも生きてくるのではないだろうか。

 トップの人柄とトップなき組織の不幸 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/8/3 と書いたのは,東京オリンピック2020の開催を許してしまった前政権でのリーダーシップについて感じたときである。このとき,若手知事の国政への台頭の期待を示した。泉氏への期待の1つは,47歳という若さである。今回の代表選挙に立候補したほかの3人も執行役員に入れるとコメントした点も評価したい。派閥抗争に明け暮れる自民党にはない,党としての新たな一体感に期待したい。