実力者への推しは何を意味するのか--政治家に人格は求めないということなのか - jeyseni's diary (2024/11/17)を再度引用して,現在それぞれの組織の「主」となっている人物を分析してみたい。
斎藤元彦--何が受けているのか,まったく不明。目が怖い。
石丸伸二--議論をせずに一方的に話す。目が怖い。
トランプ--相手を徹底的に批判する。顔が怖い。圧がある。
立花孝志--法すれすれの奇襲策を取る。顔が怖い。圧がある。
組織の「主(ぬし)」と書いたが,“主(しゅ)”でもあるのだと思われる。何かが周囲を引き付けるのだろう。心理的なものなのか,物理的なものなのかはわからない。何かこれまでとは違う人物のように思えてしまうのかもしれない。
公明党をサポートする創価学会には,かつて池田大作という主がいた。自民党との連立は1999年からなので,同氏の指示もあったのかもしれない。2023年に死去するまで影響力はあったのだろうが,穏健な人物が公明党のトップとなり,今回の衆議院議員選挙でもマイナスになった。
政治と宗教という意味では,幸福の科学が一時期,政治の世界に手を伸ばしたが,トップの大川隆法がやはり2023年に死去し,政治の世界では話を聞かなくなった。
日本の転覆まで図ったとされるオウム真理教だが,トップの麻原彰晃が1995年に逮捕され,2018年に死刑が執行された。
政治の世界に真っ向勝負を挑むか,クーデターを企むかは別として,組織として中心で世の中を動かそうという目的のために,新興宗教という要素が持ち込まれたという歴史がある。戦後の高度経済成長の中での社会の歪や,経済停滞後の格差社会の中で,「主」や「教義」といった精神的な縛りで人を動かすことが行われてきたように思われる。
ところがNHK党は,訴訟を起こされることを問題にしないという前提での法律ギリギリの行動で,世の中をけむに巻いた政治活動をしている。東京都知事選挙でのポスターパネルジャックや政見放送での行動,そして党首である立花孝志が兵庫県知事選挙に立候補し,今後は再選された斎藤元彦に対抗している20もの自治体にNHK党から候補者を立てて反対自治体を封じ込める作戦に出ると宣言している。どこに求心力があるのか,いまだに理解不能な人物である。
主要メディアを通じた情報をまず一義的に考える筆者にとって,こうした「主(しゅ)」的な主張は電源をオフにすればシャットアウトできる。しかし現在は,SNSやYoutubeを通じて常に情報発信されており,そこに自由にアクセスし,情報を拡散して仲間を増やすことで,精神的な「民意」を構築してしまう。
SNSが登場した際,Youtubeの再生回数がウン百万回だとか,フォロワーがウン十万人だとか,そういう数字があまりにも嘘くさく見えていた。なにしろ,たとえば1つの情報を見るのに複数のページで構成しているのを各ページで1視聴と数えたりするので,あっと言う間に積み重なってしまうからだ,と考えて無視してきたのだが,フォロワー数に至っては実際にその数のフォロワーが登録しているので,嘘の数字ではない,というところが恐ろしいのである(このブログのフォロワーが数十人程度というのは,ある意味で健全でもある,と負け惜しみは言っておこう)。
個人によりアプローチできるSNSやYoutubeで“民意”が形成される状況は,以前にも書いたがプロパガンダである。選挙で結果が出た上で,ここからが政治参加である,と意識してきちんとその後の行動を判定すべきだと考える。おかしなところはきちんと批判し,ほったらかしにしない,ということが,今のSNS世代に対してのお願いでもある。