斎藤元彦氏が兵庫県知事選挙で再選された。パワーハラスメントで県職員が自殺をしたことで県議会が不信任案を可決し,失職したことを受けての再選挙での再選だった。
マスコミは,選挙活動期間中にこの事件の顛末を報道し,評論家もワイドショーのコメンテーターもこぞって斎藤氏を攻撃する側に立った。ところが,再選が決定的になるやいなや,まるで何もなかったかのような手のひら返しをして再選についての報道を始めた。
これに対して,SNSではマスコミ批判,評論家批判,コメンテーター批判が巻き起こり,テレビのアナウンサー,ワイドショーの司会者やコメンテーターが「態度を改めます」とか「謝罪します」などの発表をしている。兵庫県の百条委員会までもが,審議を延期するような動きすらある。
まさに「勝てば官軍」に擦り寄る取り巻き,という構図になってしまっている。選挙戦後半で,SNSを中心とした選挙活動が拡大し,30歳台より若い世代が投票に出かけ,その6割が斎藤氏に投票したと伝えられている。テレビよりもSNS,それで動かされた若者の票が,選挙の行方をひっくり返したとみられている。
実力者への推しは何を意味するのか--政治家に人格は求めないということなのか - jeyseni's diary (2024/11/17)で,「ハラスメントは許さないという一線は,筆者は持ち続けたいと思っている」と書いた。この気持ちは今でも変わっていない。金力,腕力,立場の差によるハラスメントは,犯罪であることに変わりはない。再選されようが,その事実が消えるわけではない。県議会も百条委員会も,そしてマスコミも自信を持って糾弾を続けるべきだと考える。勝者だからといってペコペコ,ヘラヘラすべきではない。
上記コメントで筆者は,Youtuberとしての共通点を指摘した。テレビやマスコミは一方的に情報が提供されるのに対して,インターネットでは自ら情報にアクセスし,それをSNSという形で拡散できる点が,従来のメディアとの違いである。そこをうまく利用したことで,SNS世代を引き込んだ形になっている。
しかしその動かされた人たちの票が“民意”とイコールではない。そこには,心を動かすインフルエンサーが存在し,その人の考えが瞬く間に連鎖して広がっていく。考える余地を与えない。一種の催眠状態である,と筆者は表現したが,まさにそういう状況が作られたと思っている。マスコミやワイドショーの意見に対する反対意見が広がり,マスコミやコメンテーターを悪者に仕立てる。これは一種の魔女狩りである。
特に,匿名で批判コメントを書き込んでいる人たちは,やはり卑怯であると言わざるをえない。ディベートのルールを知らない人たちである。まともに取り上げる必要もないとも思えるのだが,同じく匿名が原則の選挙で,今回動いた人たちが,一種の組織票として働いてしまった。
政治も政策も大事であり,日本や地方自治体を止めてはならない。かといって,犯罪は犯罪である。はっきりさせることも至急に進めなければならない。
そういう意味で最近不思議に思っているのが,「検察は不起訴にした理由を明らかにしていません」という表現である。判例がないから,法の解釈が成り立たないから,という理由で,起訴をしないという判断がされる。これでは,いつまで経っても危険運転致死罪を適用できるケースがない状態が続くだろう。同じことが,政治の世界でも行われ,税金を軽くするだの,給付金を与えるだのと懐柔策をばらまくことで,反対意見を抑え込む手段に出るのだろうと思われる。
利害関係の既成事実を作って丸め込む。これは金権政治の基本である。それを許さないというのが現在の風潮であるはずである。不正は見逃さない,その処分をきちんと取らせる,こうした断固たる態度が法治国家としての日本のあるべき姿だと思う。