jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

クラスターから身を守るためのシェルター

クラスターと呼ばれる集団感染での新型コロナウイルスの広がりが日本各地で確認されてきた。病院や介護施設は当初から懸念されていた場所だが,最初のクラスターとして報道されたライブハウスにある意味で環境の近いカラオケルームやバー・キャバレーなどが営業自粛要請を受けた。若者や“おえらいさん”が出入りする場所である。ある意味,他の人への感染について“無関心”な人たちが集まる場所と言える。

 ここのところ,大学でのクラスター系感染が目立った。特に,慶応大学と京都大学での医学系研修医のグループが飲み会でクラスター系感染を起こしたことについては,その意識の低さに愕然とする思いである。

 一方,首都圏に暮らす地方出身の大学生は,授業もなし,バイトも停止,周囲はクラスター系の場所のみ,しかしアパート代だけは出ていく,という中で,仕方なく帰郷した人もいただろう。感染が拡大し続けている首都圏にとどまれというのも酷な話である。これが地方への感染拡散にすべてつながったとは言えないが,若者で症状がなく感染している人が公共交通を使って移動する一つの例であることは確かだろう。

 それでも日々,電車に乗っての通勤は続いている。ほぼすべての電鉄会社で車両の窓開けがようやく積極的に進められるようになったことは評価に値する。しかし,感染者を運んだり,拡散していないとは言えない。ロックダウンができない日本で,電鉄会社も忸怩たる思いなのではないだろうか。

 感染の元となるクラスターを作らない,というのが現在の政策である。日本の新型コロナクラスター対策専門家チームの提言である。緻密な計算に基づき,80%の接触を避けることで1ヶ月後に感染者の増加を抑え込む作戦だ。問題は,この作戦を無視する『若者や“おえらいさん”』ではないだろうか。ガマンを知らない若者と,金にモノを言わせてやはりガマンができない“おえらいさん”が,せっかくの作戦を失敗に導いてしまうかもしれない。

 使命感のあるグループの中にも,ルール破りはいるものである。人間の性(さが)なのかもしれない。どんな聖人でも,心の中の悪魔がささやくこともある。

 あとは,自分の身を守るための自己防衛をどこまで自分の周りに広げられるかである。個人的には,せめて家族は守りたいと考えている。筆者の家族には,大学生と高校生がいる。高校生は,休校,ディズニーランドなどの休園などで行き場を失っているが,カラオケルームも控えるだろうし,バー・キャバレーには行かない。テレビゲームばかりに時間を使うことは,この際,仕方のないこととあきらめよう。問題は,大学生である。ゼミやサークル,しかもアルコールも飲む年齢である。3密空間に足を運ぶ可能性が極めて高い。そこから家に感染を持ち込まれたら,家族がクラスター感染してしまう。ここがコントロールできるかが,家族という最後の単位を守れるかどうかにかかってくる。

 家族のメンバーには,ある程度の強制力で行動を制限できる。最終的には,家から一歩も出ずにこの難局を乗り切る覚悟が必要である。アメリカとソ連という東西冷戦の中でウワサされていた核戦争。そこから身を守るために人々が考えたもの──それが「核シェルター」だった。国の軍隊の司令系統を守る巨大なシェルターとともに,家庭でシェルターを作るという動きもあった。それは,空気清浄機も含めてとんでもない金額のシェルターだった。今回の新型コロナウイルスに対するシェルターは,「確固たる意志」が家族の命を守る。家を出ない。「Stay Home」とは,実はそこまでの覚悟なのではないかと考える。物資の流通に関わる人以外は,家にとどまる。それぐらいの覚悟が必要である。その視点で若者や“おえらいさん”を見ると,こりゃ日本はダメだな,と改めて思うのである。