jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

Upstanderになる勇気

Upstanderという単語があるそうだ。2020年6月27日のNHKおはよう日本で紹介されていた。差別されている人を応援・支援するために立ち上がった人のことを指す。

 新型コロナウイルスによって,さまざまな差別が生まれ,また顕在化した。感染者に対する差別からスタートして,治療や検査に当たっている医療従事者の方に対する差別,感染を拡大した国の出身者に対する差別,そして「新しい生活様式」をする人としない人同士の差別・仲違いなどだ。アメリカではこれに加えて,黒人逮捕者を白人警察官が死なせてしまったことを発端とする人種差別問題の再燃も加わっている。

 番組では,二人の留学生の体験談が紹介された。留学先のキューバアメリカで,それまで平穏で楽しい留学生活を送っていたのに,突然周囲から日本人やアジア系として差別を受け始め,帰国を余儀なくされたとのことである。また,横浜中華街での嫌がらせ電話の話題もあった。

 筆者が仕事で海外に行ったのは1980~2000年,そのうち1987~88年にニューヨークで留学を経験した。当時は「Japan as No.1」の時代で,基本的に日本人は優遇されていた。アジア系人も海外で活躍しており,「へえ,日本人なんだ。中国は知っているけど日本ってどこにあるの?」「日本ってインドの一部だっけ」などと真顔で言われていたが,それは差別ではなく,アメリカという大国から見て日本の存在は「いいモノを作る変な国」ぐらいの認識だったろう。当時でもまだ,日本は「フジヤマ,ゲイシャ,ウキヨエ,サムライ,ニンジャ」との認識だった。「日本人なのに将棋ができないなんておかしい」と言われたこともある。世界にとって「変な国だが役に立つ国」ぐらいの認識だった。少なくとも,太平洋戦争の敵国という意識は周囲にはなかった。ありがたい時代だった。

 アメリカの大学では,留学生が大活躍していた。特に中国からの留学生はそもそも優秀で,ディベートでも常に先頭に立って発言していた。ニューヨークのチャイナタウン,コリアタウンでは,それぞれアジア人が活躍していた。

 当時は,アジア系人への差別はあまりなく,スペイン系移民への圧力がそれなりに強かった。しかしそれ以上にこの時代でも黒人の生活は苦しかったようで,浮浪者の多くは黒人だった。筆者の大学の友人の1人は,実に温和な黒人で,表情も優しかったが,夜の地下鉄の渡り廊下でたむろしていた浮浪者の目つきは厳しいものがあった。冬休みに行ったフロリダのディズニーワールドは,正直「白人の楽園」で,黒人の入場者はほとんどいなかった。フロリダ市街からドミトリーのあったノースフロリダの間にある地域は移民の街で治安が悪いと,タクシーが猛スピードで通過したことを思い出す。

 結局,自らは恵まれた環境で留学生活を送れたために,マイノリティに対する差別についてUpstandもせず,ただ見過ごしてきただけなのだと今になって思う。卒業論文でも「科学技術がさらに発展し,その恩恵をすべての人が享受して,人類がすべて豊かになることが理想」と書いたが,今考えるとまさに理想論に過ぎない。

 筆者は30年間,大手マスメディアに籍を置いてきた。その後の10年は零細企業ではあるがやはりマスメディアの世界にいる。大手マスメディア時代の後半,Facebookがスタート(2004年)し,twitterがスタート(2006年)した。インターネット時代にマスメディア,特に紙のメディアの限界を感じ,できればデジタルメディアの世界に飛び込みたかったが,老兵はなかなか受け入れられず,結果として零細マスメディアで紙メディアを作りつつ,デジタルメディアへの展開を模索している。しかし,Facebookに代表される個人の情報発信力の凄まじさには全く対抗できていないのが現状である。

 正直言って,マスメディアは常にUpstanderであるべきだと思っている。また,その使命を期待されていると思っている。マスメディア企業の姿勢として,何を支持主張するかは決めているからである。

 しかし考えてみると,マスメディアの中で主張している個人はメディアの影に隠れてしまう。メディアが隠れ蓑になり,直接的な反論がしにくい状況にある。これまでも,マスメディア側のさまざまな主張に対しての嫌がらせや凶行も行われてきたが,基本的にはマスメディア側の論理が勝ち,反対意見はかき消されてきた。

 これに対して,個人がUpstanderになるのは乗り越えるべき障壁が高い。差別を擁護したために,自らが差別を受ける対象になったりする。特にSNSなどのメディアを使って意見を発信する場合,Upstanderは顔のある個人として意見を主張するのに対し,これを批判する側は無記名で反論をしてくるからである。また,反論が反論を煽り,いわゆる炎上状態になる危険性もはらんでいる。

 インターネット時代に入り,YouTuberと呼ばれる動画投稿者が増え,twitterFacebookInstagram,LINE,Tiktokなど,個人での情報発信が簡単にできるようになった。環境問題でのUpstanderとして有名になったスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんや,人権運動でノーベル平和賞を受けたパキスタンのマララ・ユスフザイさんなどの勇気ある行動が注目され,活動の輪は広がったと思われるが,それでも世界に平和は来ず,差別はなくならない。

 技術面から言えば,インターネットでの情報発信の秘匿性が極端に高いことが,二次拡散による炎上を広げる温床になっているのを早急に解決すべきだろう。それには,情報発信者の秘匿性をなくす仕組みを各ネット事業者側が導入する必要があるだろう。

 日本の場合,個人を特定する方法としてせっかく導入したマイナンバーを,個人登録時に紐付けする仕組みを作ることである。そして個人を特定できない情報発信をすべてカットする仕組みを導入する。複数のメールアドレスやアカウントを持つ場合でも,個人のマイナンバーと紐付けできれば問題ない。ただ,SNSのすべてが海外企業が運営しており,この仕組みを容易に使えないというジレンマがある。パスポート番号すら,裏の世界では売り買いされている世の中だからだ。

 もちろん企業のマイナンバーもきちんと登録する。事業の税金の確認など,この仕組みで漏れなく押さえられるのに,なぜ導入しないのか不思議なぐらいだ。持続化給付金などの手続きも,スムーズに進んだはずだ。ただ,持続化給付金問題で明るみになったトンネル会社まで登録されてはたまらない。ここはあらゆる不正を監視する第三者機関が必要だが,テレビドラマみたいにはうまくいかないのだろう。

 ネットでの個人的なUpstander発信は,いい面での拡散も早いが,悪い方向での拡散の危険性もはらんでいる。売名行為との受け取られ方をする場合もある。勇気ある行動に期待するとともに,弱小ながらマスメディアとしての情報発信は続けて行きたいと思っている。