jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

出物腫れ物所嫌わず--で咳エチケットのお願い

生き物には「反射」という行動がある。感覚器官や神経に刺激があると,脳で判断する前にその部分が勝手に行動を起こす。脊髄反射が有名だが,鼻の異物に対するくしゃみ行動も反射の一つである。

 クルマの運転でも,反射行動が必要な場合が多い。脇からモノが飛び出してきたら,咄嗟にブレーキを踏み,ハンドルで避ける動作をすることや,バックで車庫入れする場合に,ハンドルを右に切るのか左に切るのか,その加減,動かすスピードなど,的確かどうかを瞬時に感知して動作させなければぶつかってしまう。

 くしゃみは動物が生を受けた瞬間から身に付けている反射反応だが,クルマの運転の時に必要な反射行動は,繰り返して経験することで徐々に身体が覚え,そのうち自然に身体が動いて危険回避したりできるようになる。繰り返して経験するためには,意識して練習を重ねる必要がある。自転車に乗れるようになることも,パソコンのタッチタイピングも,基本的には同じことで,身体に覚え込ませるように訓練することが必要である。

 話をくしゃみに戻すと,異物に対するくしゃみの反射反応は,基本的に止めることができない。「出物腫れ物」の出物とは,一般におならのことを指すが,咳やくしゃみも同様である。「だから,咳もくしゃみも仕方がない」のだが,やはりそこは咳・くしゃみエチケットが必要である。手で押さえる,二の腕の内側に顔を寄せて服で押さえる,ハンカチを急いで出して押さえる,などの行動は,繰り返し経験し,意識して練習してこそ身に付く動作である。

 しかし,世の中の人間は,動物一般と同様,咳・くしゃみエチケットをほとんど訓練されていない。欧米では,宗教の教えとして,くしゃみをすると運が逃げていくとか,魂が飛び出すなどとして,子供のころからくしゃみエチケットの習慣がある人たちがいる。また女性は一般的に,対外的な慎ましさからくしゃみを抑える習慣ができているように思える。

 問題は,アジア系民族の男性に小さい頃からくしゃみエチケットの躾がされていないことである。道を歩きながらでも,電車の中でも,ところ構わずくしゃみをする。手で押さえることもない。おまけに痰は吐く,タバコやゴミもポイポイと捨てる。日本も例外ではない。「日本が美しい国」と言われるが,どこが美しいのかといつも不思議に思ってしまう。

 新型コロナウイルスでマスクを着けることが世界中で当たり前のようになった。それは結構なことだが,電車で見ていると,左手でつり革につかまって右手でスマホを操作している最中のくしゃみは,手で押さえることもない。マスクをしていても,くしゃみの空気量であればマスクと顔の隙間から呼気が漏れたり,マスクが瞬間浮いて,その隙間から漏れたりする。不織布製の使い捨てマスクでも,布マスクでも,マイクロ飛沫の飛散を防ぐことはできないからだ。

 相変わらず,マスクをアゴにかけて口や鼻がオープンな状態にあるアゴマスク状態の人を見かける。これも男性がほとんどである。さらに厄介なのは,くしゃみをするときにわざわざマスクを外してくしゃみをする男性までいることだ。くしゃみをすると,自分のマスクの内側が汚れるからマスクをずらす,という理屈のようだが,まったく迷惑千万である。

 躾は,親から子に繰り返し教えることで身に付くものである。親が親なら子も子,とはよく言ったものである。宗教の信仰のない日本にとって,親以外から教わる機会もない。幼稚園や学校という共同生活の場で躾として教わりそうなものだが,今は放任主義であったり,自由尊重であったりして,自由勝手に過ごさせている。ヘタに躾しようとしようものなら,親から文句が出て吊るし上げられるような時代になってしまったので,先生も戦々恐々である。こうしたモンスターペアレント自身も,結局子供の頃にきちんと躾をされていないのではないかと思ったりする。社会性がないのである。

 エチケットというのは,人から言われるとカチンとくるものである。逆にエチケット警察などという集団リンチも発生している。「社会性」を意識するには,現在意識的に行われているソーシャルディスタンシングのためのマークや仕切り板などでお互いの距離を少し取って「考える」きっかけになるのがいいのかもしれない。口で言ったらケンカになる。全くやりにくい世の中である。飛び道具を持ち歩かない日本は,まだ平和なのかもしれない。