「はたらく細胞」シリーズが評判と聞いている。身体のさまざまな機能を擬人化してコミック化してわかりやすく解説している。最初のシリーズでは、ケガをしたときに血小板が集まって出血を止める仕組みを、可愛い女の子たちが集まって手をつないでかさぶたを作る様子が表現されていて、なるほどと思っていた。
赤血球は酸素を運ぶ力仕事をするから男子という設定で、バイキンと闘う白血球やマクロファージが刀を振り回す女子という設定になったところですでに無理があるように感じていたが、白血球の働きとして菌を身体に取り込んで分解する貪食機能を表現するあたりで、これはもう擬人化の限界ではないかと感じていた。
今回見たシリーズでは、赤血球のリフレッシュをする肝臓を、歌舞伎町を思わせる夜の繁華街で描き、「スッキリ」させるといったキーワードで思わせぶりに話が展開した。肝細胞をバーの女性に擬人化。最後には、寿命を迎えた赤血球をマクロファージが貪食するという設定になっていた。次の話では、生殖細胞の働きも擬人化した表現になるようで、もう頭が拒否している。
初回シリーズの成功で浮足立って、作者は理性を失ってしまったと言えなくもない。男女に分けたのも、残念ながら失敗だった。さらに現実の仕事の中でも裏舞台の世界を使ってしまっている。ウエットな世界をウエットな設定で展開するから、実際以上に生々しくなってしまったと思われる。
正直、近頃のコミックやアニメは、かつての男性週刊誌のマンガレベルにまで発想が落ちていると感じる。コンピューターを使ってキャラクターを3Dモデル化して自由な視点で表現している。コマとコマの補間もコンピュータ化されている。シューティングゲームの感覚になっている。表現のウエット化も、かつてのエロマンガレベルである。
子供たちに大人気だった「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」も、時代を侍社会にシフトさせることで現実から逃避して責任逃れしているように思える。こちらは、男同士が戦い、か弱い女子を助ける、という設定も、ステレオタイプである。
これだけ、セクシャルハラスメントが時代に合わないと言われている中で、このようなコミックやアニメが流行ること自体、やはり日本がいかに意識として遅れているかを証明しているのではないか。
アニメの世界でも実写の世界でも、男女が入れ替わるような設定があり、ことさら男女差を強調するストーリーがなぜ受けるのかが不思議である。作画技術が優れているからといって、ストーリーをいい加減にしてはならないと思うのである。
そういう意味では、筆者の愛読(愛視聴)している「名探偵コナン」もすでに時代遅れなストーリーが延々を繰り返されていて、情けなくなる(筆者は、謎解きの部分だけを楽しんでいる)。
コミック、アニメの世界というのは、すでに「メタバース」である。読者、視聴者は、主人公に自分を当てはめてアニメの世界に入り込んでいる。
スマホを使い始める年齢が中学1年生がピークで、そこから小学生にどんどん広まっている。1日の使用時間が8時間などというのも普通になりつつある。SNSの世界も、個人を特定できない仮想空間である。ゲームでつぎ込むお金も、リアルの世界ではありえないような仮想通貨が普通に使われている。
これらの状況をまったく意識せずに入り込めるのがメタバースだとすると、すでに子供たちはメタバースに入り込んでいると言っていいだろう。アバターというのもいわば擬人化である。
これからどういう世界になるのだろうか。筆者としては,明るい未来が見えてこない。「表現の自由」を勝手な解釈をしては,残虐な面を持つ子供と同レベルで脳の働きが停まった異常な状態と思われるのだが,「異常」の解釈が都合のいいようにどんどん拡大解釈化されている。これに釘を刺せるのは,自主規制力のある大手メディアしかないと思われるのだが,その大手メディアがすでに方向性を間違えて暴走している今,だれがどうコントロールできるのか,まったく分からない。
メタバースを目指しているMeta(元Facebook)のマーク・ザッカーバーグも,twitterを買収したイーロン・マスクも,本当に理性を持っているのか,筆者には理解不能な存在である。良心を持ち合わせて理性で制御してくれることを祈るしかないのだろうか。