jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

厄介なサイズのスマホ--ほぼスパイ道具と同等のスマートウオッチと併せてコンテンツの制限が求められる

電車の中で50人のうち45人はスマホを触っている。しかも,駅で並んでいる間から,電車に乗る時も,そして電車から降りる時も,さらに降りてから改札口に向かう間も,ずっとスマホを見続け,触り続けている。これはもう,キチガイ国である。

 スマホを触っている人のうち,8割はイヤホンを耳に挿している。1割は密閉型のヘッドホンを着けている。つまり,周囲の音を聞いている人はほとんどおらず,音楽やゲームの音響に酔いしれて歩いているのである。ぶつかっても顔も上げない。周囲に対する意識がまったくない,酩酊状態にあると言っても過言ではない。

 なぜ,これほどスマホにのめり込むのだろうかを考えてみた。

 まず,スマホの向こう側はメタバースである。ここは底なし沼である(デジタル技術は時間と空間を飛び越えるため--ゲームやアニメの世界は無限大で底なし沼である - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2024/3/26)。つまり,リアルな世界と遮断されれば,リアルの世界に戻ってくるには強い意志が必要になるが,密閉型のイヤホンやヘッドホンによって外界が遮断され,沼にのめり込んでしまう。

 もう1つは,スマホというサイズが,自分の世界に入れるちょうどいい大きさだったことである。

 筆者は,ノートPCを使って電車内で仕事をする先駆け的な存在だった。当時,電車の中でノートPCを使っている人は最大でも2人。あとは,新聞,雑誌,文庫本,そしてラジオやウォークマン,MP3プレーヤーなどであった。ノートPCもインターネットに接続されているわけではなく,PCの中で仕事を片付けたりするのに使っていた。

 最初はポータブルの日本語ワープロ専用機で,画面には30文字✕8行しか表示されなかった。もちろん,画像を表示することもできなかったし,もちろんモノクロ画面だった。

 ノートPCも,最初は7型液晶の小型モデルで,これが11型,13型と大きくなっていき,カラーになって仕事もはかどるようになった。しかし,あくまでも文字を打ったり,線画を描いたり,といった用途で使っていた。通信していない分,情報の範囲はハードディスクの容量内である。

 ノートPCは,膝の上に置いて手前のキーボードを操作するため,画面は他人から丸見えになる。仕事の内容が見られるとまずいので,要点だけ確認したらあとは出社してからの処理としていた。新幹線で出張したときは,仕事のまとめに集中できた。当時,移動中の通信はできなかったから,PCの中のデータがすべてだった。

 しかし,携帯電話で電話とメール,そして一部のWebサイトの閲覧ができたが,ゲームも小規模なものだった。

 ところが,スマホメタバースに常につながっている。底なし沼のメタバースである。情報は無限。しかも,歩いていても電車に乗っていても,クルマに乗っていても,どこでも同じ条件で情報にアクセスできる。

 シームレスに情報にアクセスできることは素晴らしいことである。かつては,固定電話を外し,そこにモデムをつなぎ,PCとモデムでネットワークにつないでいた。固定電話なので,ホテルや宿などでしかネットにつなげない。そんな不便な時代を知っているからこそ,筆者にとってはインターネットとの付き合いは,つないだり切ったりで調整できる。しかし,若い人は常時接続であり,トイレでも風呂でも,どこでもネットにつながっている。キリがないと思うのだが,まったく平気な様子である。

 さらに厄介なのは,スマホの画面が程よく小さいことである。現在の画面サイズは6インチ前後。7インチから9インチになれば,もはやタブレットである。そのスマホサイズは,ギリギリ,ワイシャツの胸ポケットに入るサイズである。

 ガラケーではPCの1/4ぐらいの情報しか表示できなかったが,スマホではフルHDが表示できる。テレビやPCと同じ情報量が表示できる。

 しかし,スマホは6インチという手のひらにほぼ入るサイズである。これが厄介なサイズである。

 スマホで犯罪と言えば,盗撮である。スマホはふだんから持ち歩いても警戒されない。そこに高性能のカメラが付いており,さらに動画も撮れる。盗撮を簡単に思いついてしまう。

 同じ大きさか,さらに小さなコンパクトデジカメでも盗撮犯罪はあったが,スマホになっていきなり犯罪数が増えたと思う。スマホはもはや,スパイ道具と同じである。

 一方,メタバースにつながったスマホは,あらゆる情報につながっている。なんでも表示できる。SNSで厄介なグループとつながってしまうし,公序良俗に反する情報にもアクセスできる。子供でもエッチ情報に簡単にアクセスできるし,怪しい人物と直でつながってしまう危険もある。

 かつてエッチ情報と言えば,男性週刊誌やスポーツ新聞が情報源だった。電車の中で,中年男性が周囲の目もはばからず読んでいた。世の中には「不良書」ということで,公民館などに投函回収するポストが設けられたものである。

 しかし,いまやスマートフォンでは手のひらに隠して不正情報にどこでもアクセスできる。これを放置してはならないと思うのである。

 AndroidiOSも,海外の企業の運用である。日本人がもっとしっかりしなければ,情報をもっとコントロールしなければならないと思うのである。

 ゲームにのめり込み,コミックやアニメにのめり込み,そしてバーチャルな投資にのめり込む。正しい情報と間違った情報を区別できない。理性を持って画面を切り替えるというしつけ教育ができていない。

 スマホは,日本を滅ぼす道具だったのではないか,と勘ぐったりしている筆者である。そろそろ,情報制限をしてもいいのではないのか。日本のキャリアには,そんな理性はないのだろうか。堕落したテレビ・メディアと同様の道をたどるのではないかと,勘ぐっている筆者である。