ここのところ,「リアル」と「バーチャル」を並べて,「リアルが必要」という主張をしてきた。
・「つなぐ」がバーチャルになってはいけない--ネットワークのこと - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2024/3/14
・リアルがある限りAIは人間には勝てない--しかしAIに勝つためにはリアルを捨ててはならない - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2024/3/19
・リセットできるデジタルの怖さ--やはり「リアル」が重要 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2024/3/20
・身体は旧式のロボット,頭はメタバース--将来の人間は,破壊された環境に適応した種が生き残るのか - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2024/3/25
これを「アナログ」と「デジタル」に戻して考えてみた。リアルがアナログ,バーチャルがデジタルということになる。デジタル技術によって,時間と空間を飛び越えることができるということは以前書いている。これを実現するのが,電気回路であり,無線電波である。物理的に(アナログ的に)移動しようとすれば数時間,数日かかるところでも,映像,音声,データならほぼ瞬間移動が可能である。
電話の音声から始まり,テレビの画像も,離れたところにあるアナログとしての「リアル」に近づける目的で技術進歩してきた。
しかし今,デジタル技術でつながった先は,リアルではない。ゲーム,アニメ,そしてメタバースというバーチャルな世界である。そこにリアルはない。
リアルな沼には底がある。しかし,バーチャルな沼には底がない。底なし沼である。「沼にはまる」,さらに「沼る」などという新語が生まれる。現実のない世界だから,いくらでも深みがある。深みにはまって,二度と這い出せない沼がそこにある。
ゲームにはいくらでもステージを作ることができる。パッケージのゲームなら,ディスクの容量に制限があるから,ステージ数も限界がある。しかし,ネットワークにつながった途端に,容量は無限大となり,ステージ数も無限大になる。終わりがなくなる。
アニメも同様である。小説もいくらでもフィクションを作ることができる。リアルな世界のアナログな人間にはありえない想定ばかりである。
ついに,ネットワークの向こうに相手とそっくりに作られたアバターが現れるようになった。当初は,自分の動作をカメラで捉えて,それと同じ動作をさせるだけだったが,現在はAIが勝手に自分に代わって受け答えまでできるようになってしまった。自分というリアルな存在そのものが,バーチャルになってしまうというとんでもない時代になってしまった。
本当にこれでいいのだろうか。作りモノの世界に時間を取られていいのだろうか。
同じ小説でも,書籍であれば本の最後のページで区切りができる。次の書籍を買うかどうかで現実に戻ることはできる。オンライン小説ではサブスクリプションによって無制限に次の本に進むこともできる。やはり沼である。
デジタル技術は,その向こうにアナログでリアルな世界があってこそ,その時空を越えるメリットを享受できる。バーチャルな無限大の世界を見ていては,時空を縮めることはできない。そこに何らかの区切りを付ける必要があると考える。
しかし,歩きスマホも,オンラインゲームも,生成AIも,自分の立ち位置が分からなくなり,無限大の世界から抜け出すことは容易ではない。一種の麻薬であり,このバーチャルなデジタル世界を作って供給してきた企業は,人類崩壊を目指していると言えなくもないと,筆者は考える。いずれ,自分たちにもコントロールできず,スイッチも切ることができないバケモノのようなメタバースが世の中を包み込むことになるのではないかと予測する。意外にも,この悪循環を断ち切れるのが,核戦争なのかもしれないと,ちょっとゾッとするようなシナリオを描いてしまった筆者である。