jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「申し訳ない」に違和感--相手に協力を求める場面では使わない方がいい

「申し訳ない」という言い方がある。「申し訳」は「言い訳すること」なので,言った側が全面的に悪い,と認めていることになる。しかし,認めればそれで済むのかなぁ,という気持ちがどこかにモヤモヤっと残ってしまう。

 都心に向かう通勤電車にいつもの混雑が戻ってきた。まだ現時点ではマスク着用と会話の自粛、窓開けの機運が残っているので、2020年の新型コロナウイルス感染拡大の時期に比べて安心感はある。しかし。この混雑はやはり気になる。

   そこに車内放送がある。「混雑して申し訳ありません」というアナウンスである。

   申し訳ない、と言われても、乗客はどうしようもない。混雑割引でもあるのなら、まだしも、結局は言いっぱなしである。

   ここは「混雑しております。恐れ入りますが、お互いに少しずつ譲り合っていただきますようご協力をお願いいたします」というべきではないかと思うのである。

   通勤電車では、乗客の乗り降りにもたつき、数分の遅れが出ることが多い。これは、原因が乗客側にある。しかしアナウンスでは、「混雑のため、遅れが出て申し訳ありません」と言われる。大抵、ドアからあふれ出るほどの乗客が乗っていても、発車間際にさらに5人は乗り込んでくる。これによってカバンが挟まったりしてドアの開け直しをすることで発車が遅れる。エレベーターと同じように、基準を超えるとブザーが鳴るようにしてもいいのではないか。謝るのは乗客側である。

   この数分の遅れを、スピードアップで追い付かないものかといつも思うのだが、かつての大阪での電車脱線事故のこともあってダメなのだろう。

 事件が起きると,謝罪会見があり,組織の責任者が「遺憾ながら~」とか「遺憾である」といった言い方がある。「遺憾」はストレートに言えば「残念」という意味で,近年これに相手を批判,非難するニュアンスが加わったようで,やたらに連発されるようになったように思える。「残念」という意味なら対等な気持ちを伝えているように聞こえるが,「批判,非難」が加わると突然,「上からの目線」を感じる。しかも,「組織側には何の落ち度もありません」とでもいった逃げの気持ちが逆に伝わってくる。責任は相手にあって組織にはない,といった責任逃れのようにも聞こえるのである。

 ここはストレートに「このような事態になったことは残念であり,本人に強く反省を期待する(促す)とともに,組織としての責任の明確化と管理体制の見直し,関係者の処分の検討を速やかに進めることを宣言します。」と言うべきだと思うのである。

 逆に政治家が「遺憾」を使うと,何となく「いかん,いかん,それはダメでしょ」と言っているだけのようにとても軽く聞こえるのは筆者だけだろうか。相手が悪いのなら,ストレートに「強く抗議しました。」と結果だけを伝えるべきだろう。「強く抗議します。」では,これから抗議する,というようにも聞こえ,国民には「なんだ,まだ抗議していないのか」と思わせてしまう。これも初動が大切である。

 「申し訳ない」は全面的に非を認める場合のみ,「遺憾」は曖昧なので使わない。使い方を曖昧にしていくと,どんどん拡大解釈されておかしなやり取りになっていくように聞こえる。ちなみに,google翻訳してみると「遺憾」は「regret」となり,言った側が後悔していると相手に伝わる可能性がある。「申し訳ない」は「I'm sorry」で,やはり言った側が悪い,と相手に伝わる。昔から「日本人はすぐにsorry sorryと謝るのはなぜ?」「I'm sorryと言うと自分が悪いと全面的に認めることになるから,軽々しく使わない方がいい」とも言われてきたのではないだろうか。日本語のあいまいさは,海外では通用しないのである。「忖度」にいたっては「Sontaku」と返ってきた。海外では通用しない言葉なのではないだろうか。

 ちなみに,筆者としては「やばい」もいい加減にやめてほしいと思っている。年齢が高くなると「悪い」意味でしか使わない。若い人のように「すごい,素晴らしい」という意味で使うことは全くない。そもそも,濁音が入った言葉は,響きが汚いから使うな,と先輩記者に教えられた筆者は,わざわざ濁音の入った言葉が乱立している現在にとても違和感を持っている。言葉は時代で変わるのは認めるとしても,コミック発信と思われる変な短縮形言葉の発明も,作家としてもう少し考え直してほしいものだと思ったりするのだが,結局は「言葉はおまけ,イメージとして伝わればいい」ということなのかもしれない。