jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

パーソナルスペースに気づかない

「〇〇に気づかない人が多すぎる」とは、もうどれほど書いてきただろう。最近は、そう思った次の瞬間に、「ああ、言っても無駄だった」と否定し、そしてあきらめのコメントを残して、それ以上考えることをやめた。アホらしくなったからである。

   とはいえ、この「パーソナルスペース」については、一度まとめてみたいと思ったので、コメントしてみたい。

   複数の定義はあるようだが、オリジナルの定義を見てみると、intimate, personal, social, public の後ろにdistance をつけたものがある。もともと距離をフィートで定義してあり、メートルに直すと、0.5、1.2、3.6、7.2mになる。日本語だと、密接、個体、社会、公共、と訳が付いている。個人的には、親密、個人、社会、公衆、の方が好きである。

   新型コロナウイルス禍で出てきたパーソナルディスタンスもここから考えると分かりやすいのだが、1.2mはちょっと近い気がする。

   満員電車が戻ってきた今日、赤の他人と密接距離にある機会が増えた。おまけに、スマホや前抱えリュックのおかげで、顔の前に角のあるモノが近づく機会も増えている。

   筆者が、電車の中でのパーソナルディスタンスにこだわるのは、この距離を人力では制御が維持できないからである。吊革や手すりから手を離した状態でスマホに集中していては、電車の揺れや急停車に身体を支えきれず、荷物やスマホごと、密接距離に入ってしまうからである。もしくは自分がバランスを崩して、倒れかかった先に、別の人の顔があっても、そんなことは気にもかけない。

   筆者の場合は、パーソナルスペース以外に先端恐怖症のキライもあるのだろう。カバンやパソコンの角もそうだが、紙袋の角も痛いし、帽子のひさしの固い先も、目に当たらないかいつも気になる。雨に備えて持ち歩いている傘を、後ろに振り上げるように歩く人、特に上り階段でも後ろに振り上げる人の気が知れない。