左脚に力が入らなくて、子供の頃からよく右足首の捻挫を繰り返してきたことを何度も書いてきた。その原因についても分析してきた。
50歳頃にストレッチや鉄アレーによるセルフ指圧で徐々に感覚を取り戻してきたことを報告してきた。そのたびに翌月にはまた揺り戻しで元に戻ることを繰り返してきた。
決定的な方法はなかなかなかった。
日付でいうと、並びのいい2022/12/12に、1つの大きな峠を越えた。それまでは、寝る前に鉄アレー指圧をしなければ左脚の不定愁訴が収まらず、寝付けなかったのだが、この日は布団に入った途端に寝付いてしまったのである。
そして翌日、実に足取りが軽かった。左脚にもかなり力が入り、左右の歩行時の感触が同じように感じたのである。
左脚の膝を中心に、ふくらはぎ側ももも側も、複数の筋肉が活動を開始したように感じた。最初は少し痛むような感覚だったが、次第に動きが出てきた。手で触れると、複数の筋肉がわずかに盛り上がり、独立した動きをしようとしている。
特に、左膝の外側の筋肉が外向きの力を支えてくれているのを感じることができた。これにより、左外側への傾きに対する不安が一気になくなった。
2022年の最後の出社日だった12月28日は,なんだかやけに人の出が多く,いつもなら座れる路線で立つことになった。新型コロナウイルスが蔓延して以来,まずつり革を持たなくてすむ扉横に立つことを狙い,今回もうまく扉横の場所に立てた。
この場所のいいところは,壁や扉,ポールなどに寄り掛かることで身体が安定するので,立ったまま脚ストレッチができることである。今回も少し膝を曲げた状態で膝を左右にずらすストレッチや,足首を伸ばすストレッチをしながら立っていた。
すると,「ペキッ」と音がした(ように思えた)。左脚の膝の外側の,筋肉ではない,筋ないし筋膜と思われる,普段は膝を保護していると思われる部分がどうやら動くようになったようなのである。
通常,指鳴らしや首鳴らしなどでコリを解放する際に音が出るが,感覚としてはそれに近い。ただ,もともとコリ症状や不定愁訴がなかった場所だけに,「ああ,こんなところも実際は動くわけね」と思った次第である。
人類の進化の歴史の中で,現代人類は知恵を使ってさまざまな便利なものを作ってきた。衣服,加熱した食べ物から始まり,靴も作った。次に自分の身の回りだけでなく,環境も自分たちに都合がいいように作り変えていった。車輪の発明から転じて道路も舗装していった。斜面には階段を作った。
こうした文化が,おそらく人間の基礎能力の退化を促したのだろう。一般人は,靴を履いて平な舗装された道を漫然と歩けば,何の不自由もなく移動できるようになった。そしてその「何不自由なく」が蓄積して,運動能力を退化させた。現代人の1/4が抱えるという腰痛も,硬い舗装した道を歩く習慣が影響しているのではないか。
前期高齢者となってから,おそらく生まれて初めて脚に自信が持てそうな段階に来ている。ある程度十分なストレッチをしているので,足首をくじきそうになっていた不安もほとんどなくなった。今までは脚をただ前に出して体重移動をするだけで漫然と歩いていたが,ここ1週間ぐらいは,少し膝を沈めることでふくらはぎと腿の全筋肉が連携して推進力を生み出して歩いている。さらに,足の裏も柔軟になっており,親指でしっかり地面の閑職を捉えられ,最後の蹴り出しにも親指の力を十分に使っている。意識しているわけではないが,自然に歩行時の歩幅も歩数も増え,したがってこれまでより20%ぐらいは早足で歩けている。
改めて,筆者は革靴に異論を唱えたい。革靴は足の自然な動きを封じ込めてしまうからである。現代版の「纏足(てんそく)」であると考える。おそらく,女性用の革靴はもっと足の自由を奪っていると思う。特にヒールの高い靴は,足首が伸びた状態に拘束し,足先だけで体重を支える形になっている。そこに足先が三角になったような極端なデザイン先行により,外反母趾の原因になっていると思われる。
おそらく,革靴は道路が舗装されていない時代に,砂利道のデコボコから足を守るために生まれたのではないか。近代社会ではエリートやホワイトカラーの制服の1アイテムとなっているが,逆に舗装された道路では滑って危険である。変にウレタン底の革靴が出てきているのもおかしな話である。そしてエリートは見栄を保つために手作りの革靴を所望し,一部の職人だけが潤うという構図を作っている。
現代人は,革靴を捨ててスニーカーを履き,そしてアスリートのように行動的になる段階に来ているのではないだろうか。結局,社会人になって数十年を革靴で拘束されることで運動能力を落とし,高齢期に入って一気に劣化するのではないだろうか。
筆者自身は,ここでいちおう自分のやり方を肯定できるようになった。肩凝りを含む筋肉・骨系の固着は,時間はかかるが解消できるであろうことを身をもって証明しつつある。ただしこれは自己流だったこともあり,10年単位の努力も必要だったことを付け加えなければならない。かつて中学時代の体操部の友人が軽々と全開脚を成し遂げていたのを思い出す。自分も真似をしようとしたが,まったく開かなかったので,あきらめていた。あの頃,もう少し自分に自信があれば,努力を続けられたかもしれないが,だれもサポートしてくれなかった。娘2人が幼稚園時代からクラシックバレエに通っていたが,やはり最初は開脚に苦労していた。ほかのお友達がいとも容易に全開脚できているのを悔しく思っていただろう。しかし2年後に2人は全開脚できるようになっていた。年齢的な面はもちろんあるが,普段にずいぶん努力もしたのだと思う。
筆者はまず,今の足指,足の裏,足首,そして脹脛から股関節にかけての感覚を維持発展できるように,歩行や椅子座りに注意し,ストレッチを続けていきたいと思う。脚は第二の心臓とも言われるので,この状態をキープすることで,ロコモーティブの問題に遭わないこと,循環器系の問題に遭わないこと,そして頭の老化としての認知症にならないことを心がけていきたい。10年後に,このブログを続けて行けていることをまず次の目標にしたいと思った次第である。