jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「いい転職」ってあるのだろうか

仕事は人間関係なので、転職すればそれまでの人間関係はなくなり、新しい人間関係ができる。これをどう考えるかである。

   筆者は、自分に実力があるとも思わないし、会社という組織の中で能力が活かせて評価されることが自分の適性だと思ってきたので、自己ピーアールは極めて弱いと思う。実際に、携わってきた仕事での成果といっても、個人技ではないので、「〇〇という組織で〇〇という業務を担当した」としかアピールできない。極めて転職に不向きな人材だったと思う。

   実際、会社規模の削減に伴う希望退職に応じた時も、次の行き先は決めていなかったし、その後の転職活動は苛烈を極めた。そもそも前職を理解してくれる業種など、ほぼ皆無だったからである。

   今は、自分の実力を固めた上で、売り込んで、その実力をアピールし、それを買ってくれる組織があるというのが、常識なのかもしれない。このための武器の1つが資格なのだが、その資格だけをアピールすれば、その専門の仕事しかできなくなる。どの業種でも、毎日同じことの繰り返しを何年も続けられるものではないだろう。

   かつては、有名大学卒業という肩書がモノを言った。最近は、出身校に関わらず、実力を求める傾向にあるのだが、大学に入学して卒業できるようなことが、基本的な素養であると判断することもできる。特に大企業はさまざまな仕事があるから、基本素養が必要だからである。

 有名大学の肩書と一流企業の肩書のダブルの肩書があることが,社会的に高い評価となっていた。大学や企業でどのようなことをしていようと,肩書があることと一定以上の給料をもらえていること,そして定年までの身分保証があることが,安定した家庭を作り,安定した子作りができた。仕事が面白いかどうかなど,あまり問題ではなかった。

 今は,大学の肩書は残っているが,「一流企業」という肩書はなくなってしまった。上場企業だろうと,終身雇用の保証はなくなり,年功序列による給料の増加,出世,手当などもなくなった。さらに退職金もなくなった。

 今の就職活動は,採用する側も採用される側も,ドライである。どこでもいいから,とにかく採用を勝ち取りたいという気持ちが,マニュアルどおりのアピールになり,採用する側もそれを知っているから,採用基準は曖昧になる。本当に必要な人材が採れる採用過程にはならない。

 入社した途端に,自分の思いとの違いに愕然となり,1年,いや数ヶ月もしないうちに辞めてしまう。そこに転職市場が生まれる。

 転職といえば,前職のキャリアをどうアピールするか,がカギだと思っていた。しかし,前職のキャリアなどどこにもない。何をどうアピールするのか,またそのアピールもどきをどのように読み取って採用するのか,これも賭けなのではないか。

 資格を持っていれば,どこに行っても基本的に同じ仕事ができる。そこでより多い収入が得られることが,「いい転職」ということなのだろうか。何だかドライだし,仕事の楽しみってあるのだろうか。

 筆者は,モノづくりに関心があったことから,工学部に進み,モノづくり企業を目指したが,途中でモノづくりを情報でサポートするメディアの仕事に進んだ。今もメディアつながりで仕事をしている。資格はない。仕事の楽しみでつながっている。給料は激減しているが,楽しんでいるという形である。そこに,大きな夢もある。それが自分の楽しみである。今の人にそんな楽しみ,仕事の喜びというのがあるのだろうか。