jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

カネで人を雇うことについて--人のやる気と創造性を引き出す関係づくりが必要

企業への就職というのは残酷なものである。応募する側は,その企業の表の顔しか知らない。その会社の立派な社会的活動に参画できることに思いを馳せ,就活マニュアルに取り組み,エントリーシートに必死にこれまでの自分をアピールし,試験や面接に臨む。しかし相手は,企業そのものではなく,ただの人事部の人間である。自分の思いや熱意がどれほどあろうと,人事部担当者はそんなことはほとんど見ていない。単に,育ち,学歴,過去の誤ち,そして言葉遣いなどの社会常識,それも就活マニュアルの完コピーかどうかをチェックし,点数を付けて並べて,上から選ぶだけである。

 実際,学生がどれほどの数の企業にエントリーしているだろうか。仮に50社にエントリーしたとしよう。本当に自分が仕事をしたい会社を第1候補としたとして,では第2候補以下はどういう位置づけになるのだろうか。単に同じ業界に入りたいという思いから,いわゆるライバル会社にもエントリーする。それでいいのかな,という気もする。

 業界1位の企業と2位以下の企業では,おそらく思想がまったく異なる。トップ企業は市場での優位性を獲得しており,潤沢な資金を使ってさらに前進しようとする。その動きはほぼ変えることができない。正解であろうと不正解であろうと,その流れについていくことを求められる。個人の意見などほぼ通らず,ただ歯車となって動かされることになる。黙々と働き,より上の歯車になることが,仕事であり,その立場の仕事以外のことは何もできない。森が見えない状態になる。

 逆に2位以下の企業は,必死でトップを目指す。こちらも歯車になる以外にはないが,トップを追い落とすためにあらゆる手段が講じられる。場合によっては法律スレスレのトリックで切り抜ける場面もあるだろうし,道を誤ってさらに転落することもある。一種の賭けでもある。

 どの会社でも,最初からやりがいのある仕事を与えられるわけではない。この時期がいちばん苦しい。5月病という言葉はいまだに健在である。心を弾ませて入社したのに,自分の思いと違うと感じてしまう人は多い。かつては終身雇用制と言われていたので,必死に食らいついていったものだが,現在は自分の将来は大企業であってもまったく保証がない。3ヶ月ぐらいで辞めていく若者も多い。そして,派遣社員やアルバイトで食いつなぐという道に入ってしまう。

 戦後の高度成長期に日本経済を支えた大企業の多くが,儲けを出せない状況にある。重工業,自動車業界,電機産業,エネルギー産業,コンピュータ,金融業,運輸業,観光業のいずれも,自立できる道がない。原料を海外に頼ったり,部品を海外から輸入したり,すべて海外依存状態で,ひとたび経済の流れが変わると途端に取り残されて動きが取れなくなってしまっている。為替に翻弄される面も大きい。

 日本国内に大きな市場があった時代はよかったが,経済が低迷して国内市場が縮小した。企業は経費を抑えるために,投資を抑え,人件費を削減した。日本人労働者も賃金は上がらず,海外からの研修生を安い給料で働かせて辻褄を合わせてきた。これによって,日本人の労働市場がさらに縮小し,行き場がなくなっている。高度成長期なら,汗水を流して働いても給料はどんどん上がって行ったから良しとしていたが,給料がまったく上がらない状況で,苦しい汚い仕事は敬遠される。海外からの労働者にとっては,それでも自国での収入の数倍は得られるので,頑張って働いてくれる。ウエットな手作業をしなくなった日本人は,ドライなコンピュータ作業などを目指すが,ここでは英語の壁が待っている。すでにパソコンもネットワークもAIもメタバースも,すべて英語圏の企業の独創的な発想によって先行独占され,その歯車に入る以外に道はなくなってしまっている。

 現在の英語教育も,はなはだ情けない状況にある。小学校での英語義務化が始まったものの,結局日常的に英語を使うわけではないので,ネイティブやバイリンガルにはなれない。英語でモノを考えるぐらいのパラダイム・シフトがない限り,日本は「歴史的に行って観る価値のある国」としてしか残らない。人口の減少によって経済衰退に拍車がかかり,一方で老人が残って国をさらに食いつぶすという悪循環に入りつつある。

 モノづくりはもう無理だろう。メタバースでは「企業」ではなく「個人」として活動する人が勝つ。リアルの企業にこだわっていては,収入は得られない。企業が給料で人をつなぎ留めることは,難しくなってくる。リアルな企業との関係は,得られる収入分の仕事をするだけというドライな関係になる。かつての日本企業の強みだったチーム力や「カイゼン(改善)」などは,ほとんど行われなくなるのかもしれない。

 企業は,営利目的である。お客様におカネを出させるような魅力的な製品,商品,商材を提供する必要がある。そのための知恵は,熱意のある人間からしか生まれない。かつてMicrosoftAppleなどが1人あるいは数人の仲間から成長したように,熱意と発想で突き進む企業がどんどん生まれてほしい。

 正直言って,現在の就職活動ほどムダなものはないのではないかと思うのである。どの企業に行っても将来性が見えてこない。かと言って,Youtuberが世界経済を救うとはとても思えない。

 筆者は,世界経済を救うのは,やはり「リアルなモノ」だと思うのである。食糧も作らなければならない。エネルギーも作らなければならない。病気も克服しなければならない。ゴミを減らし,海を救い,ほかの生き物も救わなければならない。

 若い人には,リアルにモノを見てもらいたい。物理や化学,生物の実験や観察をベースに,命を守り,生活必需品をどうすれば生み出せるかを考えて取り組んでほしい。もちろん,農業や水産業の新しい流れを作ることは必要だし,新エネルギーのための技術開発も魅力的である。エンタテインメント,金融,ゲームなどばかりを目指さないでほしいのである。

 時間が来たら家に帰れるような仕事は,その企業にとっての発展性がない。何か新しいものを生み出すには,常にアイディアを膨らませるだけの余分の時間が必要である。人との時間外の交流も重要だし,時間に拘束されない働き方も役に立つ。企業がカネで人を雇うにしても,雇われた人が自分の能力を発揮できるような環境を整え,単に歯車にしないような考え方が必要だと思う。そういう意味では,新型コロナウイルス禍によるこの2年間のテレワーク生活は,自分の創造性を非常に高めたと思っている。