jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

人は個人崇拝でしか動かない--それは個人の器量なのか、あるいはカネの力なのか

筆者は、無信教と言って憚らない。自分が中心だと思っているからである。でなければ、こんなブログは書かない。

   リーダーと呼ばれるような人は、支持者が集まる。支持者は、そのリーダーの指示に従った行動をする。反論も意見もない。これは言わば、人を神格化した宗教である。

   典型的な例は、アメリカの前大統領であるトランプ氏である。いまだに彼を支持する国民は非常に多い。単なる人気ではなく、トランプ教に近い崇拝の仕方である。

   日本では、創価学会池田大作幸福の科学大川隆法オウム真理教麻原彰晃などが、人を崇拝の対象とする宗教である。統一教会がなぜ日本に進出できたのかは、訳が分からない。

   権威主義国家も、人を神格化している。ロシアのプーチン大統領、中国の習近平首席、北朝鮮金正恩首席もそうである。

   自由主義国では、君主がほぼ神格化されてきた。イギリスのエリザベス女王もそうだし、戦前の日本の天皇もそうである。

 かつて,ドイツのヒットラーも神格化された結果,戦争へと展開してしまった。強力なリーダーは神格化され,崇拝され,その言葉や行動に人は引き込まれていってしまうようである。

 エリザベス女王を失ったイギリスはどうなるのだろうか。首相となる人物に強力なリーダーシップが求められるが,これも今,未知数な状況にある。

 日本は,残念ながら崇拝に値するような政治家が輩出されない。吉田茂は強力なリーダーシップで日本を戦後の混乱から回復させたという功績で国葬を勝ち取った。当時の日本国民が納得いく扱いだったのだろう。強力なリーダーシップという意味では,田中角栄だが,これはカネの力を存分に使った結果,汚職にも手を染めてしまった。おそらく多くの支持者・崇拝者がいたはずだが,反対意見も強かったろう。その意味では,安倍晋三は,ほかに敵がいなかったために,相対的なリーダーシップが継続でき,7年という長期政権となっただけであり,こちらもカネには汚かったので,やはり国葬には値しなかったと思うのである。

 その安倍元首相なき後,国民の気持ちを集められるリーダーが日本にはいない。天皇家も惨憺たる有り様である。

 医者の中でも,抜群の医療センスのある医師を「スーパードクター」と呼ぶそうで,世界中で30人ぐらいいるらしい。IT業界では,GAFAを筆頭にメタバースという別の世界まで作ってリアル社会の経済を操っている「スーパー経営者」が何人かいる。現在はアメリカ中心だが,中国も一気に追い上げている。

 政治の世界での「スーパー政治家」は,どうしても権威主義に偏る傾向にある。自由主義国家の政治が停滞している間に,権威主義国家が勝手な行動をどんどん進めてしまっているのを感じる。国連も,もはやほとんど機能していない。

 ロシアのプーチン大統領に対して,ローマ法王が戦争行為を直接批判したことがニュースになっている。しかし,現在のローマ法王カトリックそのものも,内部のセクハラ・パワハラ問題で混乱しており,求心力を失っている。ロシア正教ギリシャ正教との対立も明確になってきている。宗教界すら,人の心の拠り所にならなくなってきている。

 人の心の拠り所が,カネにしか集まってきていないような気がする。人の役に立つ仕事をして,それに見合った報酬を得る,という理想的な自由主義の中で,楽してカネ儲けをすることにばかり,目が向いている。世界をどのようにするか,地球をどのようにするか,そして将来の人類はどうあるべきか,などをじっくり議論する余裕を,人類は失ってしまっている。

 AI,あるいはコンピュータが,人間の叡智を越えるだろうと言われているのが,シンギュラリティポイントであり,おそらく2025年あたりと目の前に来ているように思われる。人工知能が研究され,最適解をコンピュータがはじき出すだろう,という期待は,20世紀の終わりにはあったし,現在のAIの成果は人智を越えつつあるのを感じる。一時期は,現在の地球のさまざまな問題を解決する方法をAIに導き出してもらえるのではないか,という期待もしていた。

 しかし,AIが特定の人間の利益になるように恣意的に操作される可能性が見えてきた。また,21世紀の混乱の事例まで学習してしまうと,ひょっとしたら「権威主義の方が優れている」という結論を出す危険性もあるように感じている。

 SF映画やドラマで,AIやコンピュータによって人類が抹殺される場面が描かれることが多いが,何となく現実になりそうで恐ろしい。テスラ社が開発したAIロボットも,何をしでかすか分かったものではない。

 日本人も,決して褒められた歴史を持っているわけではないが,単一民族,島国という鎖国状態の中で,独自の文化を洗練させ,戦い社会から安定社会,そして勤勉社会へと成長させてきた。新型コロナウイルスという世界的な危機の途中で再び動き出した権威主義,そしてアメリカ経済がメタバースに逃げようとしている中,日本が独自性を失って右往左往しているのが情けない。

 今必要なのは,エネルギーと食糧の自給技術と,それを支える政策である。英語教育もプログラム教育も必要ない。ゲームやアニメに流れる若者はもう見捨ててもいい。しっかりと足元を見て農業や水産業,そして大学でしっかり研究している人たちをしっかりサポートし,エネルギーと食糧の自給を支える工業技術に対する人材育成ときちんとした処遇をするような日本ならではの政策を展開してもらいたい。

 岸田首相の「新自由主義」が何を目指しているのかが不明確で,結局はカネを動かすだけの経済政策でしかないように見える。継続できる,つまり日本が自立できるような形式,産業,そして人材をきちんと作り直すことが,今求められているのではないか。さもないと,人はメタバース,ゲーム,カネという個人主義に陥ってしまい,国は崩壊する。