jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

タイヤの摩耗粉が海洋マイクロプラスチックの一番の原因?--EV化でさらに加速される恐れも

海洋マイクロプラスチックの大部分は自動車のタイヤから発生していることが報告される - GIGAZINE (2023/10/2)という記事に出会った。いろいろなことを考えさせられた。

 まず,世の中で各国政府やマスコミが大きく取り上げ,それに対して企業が代替策を発表する,というお騒がせプラスチックはレジ袋やストローであり,これがクジラが食べたとか,カメの目に刺さったとかといった動物愛護の視点で批判されていることである。

 もちろん,実際に海に浮かんだゴミや海岸に漂着するゴミのうち,天然素材に比べればほぼすべてのプラスチックゴミは分解しない。50年経過しても形を残して浮遊したり海底に溜まっている。ある程度劣化すると,物理的に破砕されることはあっても,それが数mmの破片となって魚が食べてしまうなどということも報告される。プラスチックゴミが海に流れ込まないようにする必要性はもちろんある。

 ところが,実際にクジラやカメ,アシカ,そして海鳥など,海洋の大型生物の生命を脅かしているのは,廃棄・放棄された漁網や釣り糸である。ヒレや身体に絡みつき,身体に食い込んで切断されたり命を奪ったりする。ゴミ全体の重量からすると,海洋プラスチックゴミの8割を占めるとも言われている。つまり,漁業者や釣り人が自分たちの生活や娯楽のために使っている道具を無秩序に廃棄,あるいは岩に絡まってそのまま放棄することが,海洋大型生物に被害を及ぼしていることは,ほとんど報じられない。

 そこに今回のレポートである。クルマのタイヤやブレーキの摩耗粒が海に散らばって,そこから危険な物質が放出されている,という事実は,もはや人間が何をしても海洋汚染は止められない,ということと同義だと思わせられた。

 初期のタイヤは天然ゴムだから,生分解する。しかし現在のタイヤには耐久性を増すために多くの化合物が含まれている。たしかに数年でタイヤの溝は摩耗して交換しなければならない。廃棄タイヤもほとんど再生できずに野積み放置されている一方で,使用して摩耗したゴムの微細粉が海まで流れ込んで海洋汚染しているというわけである。

 クルマはもはや欠かせない道具だし,合成ゴムのタイヤに代わる材料も見つからない。ガソリンやディーゼルによるCO2やNOx,およびススの排出はEV化によってなくすことができたとしても,クルマそのものがなくならなければ,タイヤからの微細粉による海洋汚染をなくすことはできない。

 石炭や石油などの化石燃料を燃やし続けて100年。これによって大気中に放出されたCO2は膨大であり,地球温暖化の元凶の1つである。しかし,実際はメタンなどの自然放出や,火山噴火,大規模な山火事による影響も無視できない。おそらく,プラスチックの全面禁止,石炭・石油使用の全面禁止,そしてクルマ利用の全面禁止をしたとしても,すでに平均気温の上昇によって進んでいる氷河の溶解や南極の溶解などを止めることはできないと考えられる。

 筆者も,毎週水曜日にはプラスチックゴミをまとめて収集してもらっている。あらゆる包装用のプラスチックを捨てるとき,レジ袋やストローを代替した程度ではプラスチックゴミは減らない,と思い知らされる。放置すれば海洋汚染,燃やせば大気汚染,リサイクルしても結局はプラスチック製品になるだけで,いずれは廃棄され,消えることはない。

 これに,毎日のように便利に使っているクルマのタイヤの摩耗粉が海洋汚染に加担しているとなれば,もはや身動きが取れない。

 すべての製品が「長寿命化」を目指して改良を加えてきた。しかし結局は,化学物質を添加したり,材料を複合化することで,再利用ができなくなり,廃棄・放置するという流れになってしまう。

 文明と高い知性を持った人類が,便利さ,快適さを求める行為によって,環境が蝕まれて行き,最後には自分たちに跳ね返ってくるようである。しかもこれがわずか150年,2世代の間に起きてしまっていることに,改めて脅威を感じてしまう。

 江戸時代の時代劇を見て,ずいぶん不便な生活だなと思ったりするが,石油も石炭も電気もプラスチックもない江戸時代ぐらいの生活様式が,最もサステナブルな生き方なのではないかと,改めて思ったりする。「平和」を考える意味でも300年も続いた太平の江戸時代を,もう一度取り戻してみることを,考え直した方がいいのかもしれない。