jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

最強靭なプラスチックに人類は翻弄され,地球を破壊に向かわせている--完全燃焼して電気エネルギーに変えるプラ発電所が必要

筆者の地域は,水曜日がプラスチックゴミの収集日である。以前はレジ袋にプラスチックゴミを入れて出していたが,最近はレジ袋が家にはまったくなくなったので,宅配サービスで使われている変な形のビニール袋をプラゴミ捨て用に「リユース」している。

 レジ袋も,相当な重さの商品を入れて持ち歩けるし,中に角の硬い商品を入れても滅多に破れることはない。リユースしているビニール袋も,薄っぺらくてヘナヘナしているにも関わらず,ゴミをギュウギュウ押し込んでも破れない。

 食品包装をプラスチックから紙+アルミ箔に替えることを以前提案した(プラスチック包装の代わりにアルミ箔と紙箱(板チョコ方式)--プラスチックの透明性は不必要と気持ちを切り替えよ - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2022/6/4)。少しでもプラスチックの使用を減らす1つのきっかけになると思うのだが,結局,個包装はビニール袋になるだろうし,この紙とアルミをさらに分けることも人間はしないだろう。さらに,プラスチック包装のバリア性の高さは,他の材料の追従を許さない。湿気はもちろん,酸素を通さなかったりする。

 ガラス瓶や金属容器を使って,中身だけ入れ替える使い方として,海外では化粧品や洗剤,液体調味料などで実用化している。日本でもコーヒーショップにマイカップを持って行く人も増えている。

 問題は,異物混入による安全性の保証ができないことである。たとえばマイカップに入れてもらったコーヒーが変な味だった場合,コーヒーが悪いのか,カップに不具合があったのか,原因究明が難しい。余計なトラブルになる。しかも,店と客という立場を利用した嫌がらせも起きる可能性が高い。通常の飲食店での異物騒ぎも,店側の責任とは限らない。プラスチック容器による完全密封であれば,店側は安全性についての保証をした形になる。それでも異物に関してはわざと嫌がらせをする人が後を絶たない。

 海洋のゴミが海洋生物に与える影響として,レジ袋をクラゲと間違えて食べたとか,プラスチックストローが目に刺さったとか,過激な指摘によってプラスチック使用の削減のきっかけにはなった。しかし,実際は海洋プラスチックゴミの大半は,投棄される漁網である。漁網にアザラシや海鳥が絡まって死ぬケースも報道されるが,人間の食料確保に向けてのあくなき追求のために,大量の漁網が使われ,破れた網は投棄されることが繰り返される。

 もちろん,食品のプラ包装が深海でも見つかっていることも事実である。30年,50年経ってもほとんど分解しないし,分解したとしてもマイクロプラスチックとなって海洋生物に取り込まれる危険は増す。

 現在,分別収集されたゴミは,基本的に2つのルートをたどる。1つは可燃ゴミと一緒にゴミ焼却場で燃やされるルート。もう1つは埋立地などに運ばれて放置されるルートである。正直言って,食品包装に使われるようなプラスチックゴミは,リサイクルする方法がなく,燃やすか埋めるかしかないのである。

 焼却場で燃やすときに問題になるのが,プラスチックゴミの燃焼温度が高いことと,有害物質が出てくる可能性があること,そして燃えカスの灰にも有害物質が含まれる可能性があることである。高温で燃焼することで燃焼炉が傷む。プラゴミ専用の焼却炉も使われるが,この修復にも多大な投資が必要になる。

 一方,埋め立てる場合も,廃棄したゴミが埋める前に風で飛ばされてしまうという問題がある。これが海洋へのプラゴミの最大の供給源となる。なにしろ埋立地自身が海の近くにあるからである。

 かつて,ゴミをロケットに載せて太陽に突っ込ませて燃やすなどという話もなかったわけではないが,まったく実現性のない話である。

 プラスチックを完全否定すると,おそらく現在の人口を支えることはできない。食料の輸出輸入はできなくなるし,安全な食料を届けることもできない。長期保管や備蓄もできないからである。

 ならば「安全に燃やし,そのエネルギーを最大限利用する」ことを考えるしかない。燃焼に伴う有害物質も完全に除去し,エネルギーを効率よく利用した発電所である。この設計ができるのは,日本しかない。

 もう1つはバイオプラスチックである。石油由来ではなく,植物由来のプラスチックの大量生産技術の確立である。しかし,現在のようなトウモロコシベースのバイオプラスチックでは,食料確保との矛盾も生じる。ここも頭の使いどころである。

 結局,エネルギーと食料をどう生産するかを考えることで,プラゴミ削減にもつながると考える。しかし,「技術はあっても投資できないのが日本」である。結局負け組になってしまうのだろうか。