jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

絶対にあり得ない男女平等

私はルールの基での平等を尊重する。ルールの本ては、あらゆる点で男女平等である。これまでも、女性だけの市や女性だけの国会(非男性)の提案をしてきた。仕事もプライベートも、あらゆる点で平等だと思っているからである。

しかし、1点を除いて、男女は同じではないことがあった。これは乗り越えられない壁になるだろう。それは、「快感」という感覚の差である。

男性にはこの感覚をいつでも手に入れられる。相手がいることは絶対条件ではない。自己完結できることもできる。

刹那な感覚ではあるが、絶対的な価値を持つ。お金もかからず、短時間で得られることも特徴である。しかも思春期から死ぬまで、60年も70年も続く感覚である。

さらに、あらゆる他の欲望が得られなくてもこの感覚は手に入れることができる。食べなくても、寝なくても、お金がなくても、死の直前てあろうと、たった一人でも、得られる。

女性にはこの感覚がない。男性週刊誌が好むイカせる話は、すべて男性側の都合のいい設定である。くすぐったいという感覚と、長時間のプレイで息が切れて酸欠状態になるだけのことを、女性の快感と呼んでいるだけである。女性側も、誤ったこの男性の思い込みに従わざるを得ずに演技を強いられている。

男性のこの快感という感覚は、頂点があることが特徴である。頂点まで行けば、満足が得られる。同じことをただ繰り返すだけで何度でも楽しめる。

しかし、人間の他の欲望には、この「頂点」がない。行き着くところがないため、際限なく求め続ける。

買い物、食べ物、プレゼント、家、何でも上を向いたらキリがない。それでも満足しなくて、さらに上を求めるのが人間の性で、特に女性はこの術策にはまってしまう。際限なく求めてしまうのである。

この欲望のために必要なのは、お金である。普通の男性は、働いてお金を稼ぎ、欲望を叶えようとする。働く間は欲望を満たすことができず、そこがいいバランスになる。

一方、女性は稼ぎが少ない傾向にある。一生懸命働いても、得たいものが十分に得られない。

そこで妥協の方法が2つある。自分を商品にして高く買ってもらうか、稼ぎのある男性に付いて行くかである。

自分の商品化も2つの別れ道がある。美を武器にしたモデル業や演技も含めた女優業である。いずれも、おそらく自分の自由を犠牲にする必要があるだろう。

もう1つは性を武器にした産業である。身の危険との引き換えにお金を得る道である。

一方、男性に従う道の大部分は、結婚という形で示される。お金が自由になるのは、そのうちごく一部の女性だろうが、時間とお金が手に入る。この代償として、家庭を作り、守り、育てる役を担う。家族の食事の世話、選択、そして家主の世話である。

仕事と家庭ととちらがいいか、という議論もある。いずれ、仕事を選ぶ女性が輝く時代か来てほしいものだ。

昨今の御一人様ブームは、男性の稼ぎの減少の影響が大きい。結婚しても女性に満足のいくお金をあげられない。格差社会が生んだ悲劇である。