新型コロナウイルスに対する「非常事態宣言」がとうとう全都道府県向けに発令された。これに対してもさまざまな批判があるが,それはほかの方にお任せする。
さて「発令」と書いたが,2020年4月7日の7都道府県の非常事態宣言は,「発出」と表現されていた。その後,京都府などが独自に出した宣言も「発出」という言葉を使っていた。その時から,この言葉に違和感を持っていた。
ところが,今回の全都道府県に対する非常事態宣言は,「発令」という言葉に変わった。まず,ここを軽く突っ込んでおきたい。
そもそも「発出」という言葉には,上記のような使い方がないのではないかと思われる。ネット情報で正確さは不明だが,大辞林には,「⑴起こること。あらわし出すこと。⑵遣わし出すこと。出発すること。」とある。「発表」という意味すらない。「宣言」なのに「発表」でもないことに違和感があったのだと思われる。
一方,「発令」には「命令を発する」という意味合いがある。強制力がある,というと感じさせる。しかし,日本には強制力のある警察も軍隊もないので,国民に対する「お願い」でしかない。ならば「発表」でいいのではないだろうか。
さて,「発表」だとして思い出すのが,第二次世界大戦中の日本での情報統制である「大本営発表」である。ラジオという当時唯一の情報拡散手段を軍国政府が掌握し,国民を洗脳したのが大本営発表である。
今回の新型コロナウイルスに関する政府・安倍総理大臣の発表や,それを伝えるNHKを先頭としたテレビ報道が,すべて“大本営発表”に聞こえてくる。給付金やマスク配布などの“救済措置”をチラつかせながら国民にガマンを強制する。しかし,戦時中の大本営発表の圧倒的なプロパガンダと違って,全く真実味が伝わってこない。したがって,国民がついてこない。
今こそ,国民一丸となって新型コロナウイルスの終息に向けてガマンすべきところなのに,首相夫人の脳天気な発言と行動,給付金を巡る朝令暮改の発表,そして森友疑惑などをうやむやにしてきたツケがあることによって,国民が行政を全く信頼できないことから,クラスター対策チームが知恵を絞って取り組んでいる日本流の新型コロナウイルス撲滅作戦が功を奏するのかどうか,極めて危うい状況にあるのを感じる。
民放は相変わらず寄ってたかって,芸能人(司会者,ジャーナリスト,弁護士なども含めて出演者・コメンテーターはすべて芸能人であるという認識)という素人集団によるワイドショーでの無味乾燥な意見の出し合いを行い,中には誤った情報を発信している。
一方,NHKも「公共放送」という隠れミノで“正しい情報”を発信していると称しているが,それが単なる“防災無線”の連呼にしかなっていないことにまだ気づかない。2019年の台風19号での堤防決壊や外水氾濫,さかのぼっては2011年の東日本大震災の津波に対して,避難を虚しく連呼し,被害状況を伝えるだけで,被災者に寄り添ってこない。
今回の新型コロナウイルスでは,放送界で感染者が出たことで,対応が変わってくるとは思われるが,このブログと同様,「デジタル」な「ドライ」な業界と「アナログ」で「ウェット」な現実との間の乖離は,いかんともしがたい。
不謹慎ではあるが,大戦中は天皇陛下が思想の中心にあり,すべての大義名分が集約されていた。今は,特に重要な医療現場の情報に最も密接につながっている「新型コロナクラスター対策チーム」に全権を委ね,ここからの発表を常時受け取ることができる情報発信チャンネルの確保(NHKを含む地上波以外)が必要と考える。twitterだけでは,雑音が多すぎる。きちんとした電波の割り当てが必要である。最前線に立たれておられる押谷仁先生に,改めてエールを送りたい。