jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

『新しい生活』時代に物理屋,化学屋,電気屋(エンジニア)の活躍を期待

人との距離を置く『新しい生活』によるソーシャルディスタンシングは,「人間崩壊」にもなりかねない。これまでヒトは,集団で生活し,共通の言葉を発明して進化してきた。ハグやキス,ハイタッチなど,接触による無形のコミュニケーションが関係性を向上してきた。

 医療が発達して,薬による治療や外科的手術によって生命を長らえる時代だが,最近ではタッチセラピーが大きな効果を持つことが発表されてきた。タッチによるストレス低減や,安心感を与えることで,愛情ホルモンであるオキシトシンが分泌され,これによって痛みが軽減したり,認知症症状が改善したりしているのである。

 この時代における,新型コロナウイルスによる接触制限は,人の集団としての団結を損ないかねない。ひょっとしたら,これがウイルスのヒトに対する戦略なのかもしれない。

 さて,さまざまな行動自粛を伴う『新しい生活』に従おうと努力しているのが,一般庶民である。接触をなるべく減らして,それでもなるべく以前に近い環境を生み出す努力をしている。マスク,フェイスシールドなどの着用も,今後のトレンドかもしれない。

 その中で,この流れに逆行している人たちがいる。世の中のセレブ,大金持ち,“先生”と呼ばれて増長している輩,“カリスマ”などとテレビ業界に持ち上げられて一財産を築いた一発屋など,庶民から見れば殿様遊び,豪遊ができる人たち(本人たちはそれが普通で何の不思議にも感じていない),旅の恥はかき捨てという人たち(これも本人たちは意識していない)が,結局,“夜の街”で濃厚接触を繰り返し,密室で賭けマージャンをし,そして県をまたいだ移動を平気でおこない,感染の収束を遅らせていると思えてならない。もちろん,これらの人たちの恩恵に預かっている高級料亭や,テレビ,新聞などの既存権益を持っているマスコミ企業や広告代理店,各省庁とどっぷりつながっている建設業界,電気通信業界,銀行証券保険業界などの大手企業も,経営者の舵の切り方次第というところだろう。

 第二次世界大戦の復興で日本の製造業が世界を席巻した。リーマンショック後にGAFAが世界を支配した。今回の新型コロナウイルス禍の後は,バーチャルがリアルな日常になる人間革命の時代かもしれない。伝説のアップルCM『1984』が描いた世界が,いよいよ日常になるような気がする。5G通信,google glass,ドローン,そしてAIロボット。あと解決されていないのがエネルギー問題である。発電側で攻めるか,消費側で攻めるか,蓄電側で攻めるか,これは物理屋,化学屋,電気屋(屋はそれぞれ「エンジニア」という意味)の出番である。

 そして,バイオミメティクス(バイオミミクリー)の出番である。力づくで地中から石油を絞り出すシェールオイルや,海底まで掘り進んで取り出した石油が,国際問題の根源にある。自然の空気の流れや温度差などを利用して効率良くエネルギーや資源を獲得している昆虫や他の生物の知恵を活用する道を見つけることも必要だろう。そのための素材開発には物理屋,化学屋も必要である。

 物理的な接触に代わるバーチャルな接触が『新しい生活』に入ってくる。これまではテレビ映像という一方通行のバーチャルな世界が技術によって実現された。新型コロナウイルス時代には,SkypeやLINE,Zoomを中心としたテレビ会議システムが当たり前のように使われるようになってきている。使った人は経験していると思うが,意外にも『場』を感じられる。みんなと会って,同じ時間と話題を共有しているのを感じる。そして結構盛り上がることもできる。時間と空間を双方向で越えられる技術を手にした瞬間と言えるだろう。学校のオンライン授業も,実現されている。

 5Gによって,バーチャルの映像の遅れをほとんど感じないようになれば,まさにテレエクジスタンス(遠隔実存)も実現できる。画面に分割されてそれぞれの顔が映っている状況から,まさに目の前にみんなが座っているような状況を作り出すことが可能になっている。google glassが提案した世界が現実のものになろうとしている。

 現在のVRゴーグルは,いかにも無骨である。やはりメガネ程度にする必要がある。ここにも,物理屋電気屋の登場が期待される。材料屋,化学屋も必要である。

 大学時代,機械屋の世界で過ごした筆者は,製造業応援団としてマスコミに身を置いて40年を過ごしている。日本の製造業が崩壊し,次に来た観光業がいまや崩壊しつつある。『新しい生活』の時代には,新しいバーチャルな産業を支える必要がある。これを物理的に支えるのがまたモノづくり(製造業)である。エンジニアたちの活躍をまた応援したいと考えている。