jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

周囲に配慮しない,周囲と距離を取らない日本人

筆者は男性だが,体躯は細い。世の中の多くの男性に対して,恐怖を覚える。ぶつかって来られたら吹っ飛んでしまうだろうし,因縁を付けられるのも想像に難くない。したがって,すれ違う際は,必ず距離を取るように努力している。

 ところがなぜか,こういう輩によくあることなのだが,歩道の中央を堂々と向かってくる。こちらは基本的に右か左に寄って歩いているのだから,反対側に少しずれてくれればいいのだが,全く譲る気配などない。いよいよすれ違いざまになっても,身体をひねるわけではなく,こちらが避けるようにしないとぶつかってしまう。

 海外では,今回の新型コロナウイルス対策の一環として,歩道を一方通行にしてすれ違いをなくす例も出ている。条例で定めたものもある。日本では,わざわざ法律や条例を定めなくても,人とぶつからないように歩くのが当たり前だと考えられている。渋谷駅前のスクランブル交差点で人がぶつからずに歩くのが奇跡のように持ち上げられたり,日本体育大学の「集団行動」も日本人の特徴として評価されている。

 しかし,一般の日本人は全く周囲に配慮しない,というのが同じ日本人としての感想である。譲ってもらうと,逆にびっくりするほどである。

 普通にぶつからないように歩いているのであれば,新型コロナウイルスで必要とされているソーシャル・ディスタンシングは簡単に取ることができるのだが,なぜいつも歩くたびに神経を使わなければいけないのか,日本で生活することに絶望を感じることも多い。

 我が家のイヌはイヌ嫌いで,他のイヌが近づくと吠え始める。もうかれこれ10年になるので,近所でもだいたい我が家のイヌの性格もわかっていると思うのだが,イヌの散歩をしていても道を譲ってくれる人は少ない。すれ違わないようにこちらが別の道に回り道をしているのに,わざわざその先に来るように別の道を通ったり,ウチのイヌの後ろを追いかけて来たりする。そのまま真っ直ぐ進んでくれればぶつからないのにも関わらずである。

 クルマの運転も同じである。教習所では「キープレフト」と教わった。日本で右ハンドルのクルマを運転する場合,右ハンドルの運転者が左車線の中央を進むように運転すれば,車体は左車線の中央より少し左に寄った「キープレフト」になる。このように教えてもらってきた。ところが,多くのクルマは,左車線の中央を進んでくる。これは“キープセンター”である。対向車線も同じようにキープセンターなら,すれ違いざまのクルマの間隔はキープレフト時に比べて1mも狭くなる。自転車やネコの飛び出し時でも,キープレフトであれば避けることはできるが,キープセンターではぶつかりそうになる。なんでこのような簡単なルールが守られないのか,いつも不思議に思っている。

 歩行者も,クルマが近づいても少しも譲ろうとしない。もちろん,歩行者が優先だが,少しゆっくり歩くとか,10cm避けるとか,少なくともクルマに視線を向けて注意していることを運転者に伝えてほしいのだが,全くクルマに対して危機感を持たずに譲りもせずに歩いてくる。危なくて仕方がない。

 テレビドラマでは,すれ違いざまにナイフで刺す演出が多い。刺す相手は誰でもよく,無差別に犯行が行われる。数年に1度ぐらい,実際にこういう通り魔事件が起きる。無差別大量殺傷の場合もあれば,若い女性が夜道で刺される場合もある。バイクで近づいて犯行に及ぶケースも多い。

 いずれの場合も,あと50cm離れていれば,ナイフから身を避けられたかもしれない。すれ違いざまだけでなく,向こうから近づいてくる人物がいれば,事前に道の反対側に移るなどの行動を取ってもいいだろう。「日本は女性が夜道を一人歩きしていても安全」などという話がないわけではないが,絶対に被害に遭わない,ということこそ,絶対にありえない。確率が幾分,諸外国よりは低いかもしれないが,絶対安全ということはないのである。警官が近くにいたとしても,犯罪は起きる。もっと悪いことに,警官が犯罪を犯すこともないとは言えない世の中である。

 あらゆるシーンで,自らの神経を研ぎ澄まし,あらゆる危険の可能性を意識して,少しでもソーシャルディスタンシングを取って行動すべきだと思う。相手は新型コロナウイルスだけではない。普通の人間が怖いことも改めて認識しておく必要があるだろう。