jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

高齢者ドライバーになりたくない

高齢者ドライバーによる「アクセルとブレーキを踏み違えた」という事故が多発している。何十年も運転している自分のクルマで,本当にそんな踏み違えをするのか,といつも思う。最近の新車は踏み違え防止機能が標準で付いてきている。高級車,外国車,そして軽自動車にも,付いてきている。それでも,駐車場で前進と間違えてバックするとか,ブレーキを間違えてアクセルを踏んだとかの事故が起こる。機械やコンピュータではカバーできない問題なのだろうか,と考えてしまう。

 筆者もまもなく今年中に,高齢者の仲間入りである。ひょっとしたら,そんな間違いを犯してしまうのかもしれないと思うと,クルマの運転そのものをしたくなくなっている。ここ1年ぐらいで,大学生の息子が家のクルマを運転してあちこちにでかけるようになった。正直,最初はどうかなと思っていた。何カ所かこすったりしているが,今はほぼ安心して運転させている。引き継げる日もそう遠くはないと思っている。

 住まいが埼玉の田舎なので,正直言って軽自動車を乗り回す高齢者が多い。ふっと運転席を見ると,白髪,白髪交じり,メガネ,キャップという高齢者の男性が乗っていることが多い。

 メガネをかけているということは,正直言って視界が狭いということである。それになぜ車内なのにキャップを被っているのか不思議なのだが,これも視界を狭めている要因の一つである。ただでさえ,反応が鈍くなっているはずなのに,取得できる情報量を自ら減らしているのか,と信じられない思いである。これが判断の遅れや事故につながっているのではないかと思っている。

 クルマを運転するときは,余裕のあるスタイルを取るべきである。シートの位置も,ハンドルから離れすぎず近づきすぎず,ヒジがやや曲がった位置にシートポジションや背もたれの角度をとるべきである。靴も滑りにくく,ブレーキやアクセルの踏み具合を足裏で把握できるような比較的柔らかい底であるべきである。服もゆったりしたもので,冬場はコートやスーツ,厚手のセーターなども脱いで,腕を動かしやすく,身体をねじりやすい恰好をすべきである。

 特に視界を妨げるものは,極力排除すべきである。身長が低いのにシートの高さが低かったり,フロントスクリーンの周辺にモノを置かない,そしてメガネや帽子なども極力脱ぐべきである。

 できればマスクもしたくない。新型コロナウイルス禍のため,運転中もマスクをすることが望ましいのだが,クルマに一人で乗ったり,家族しか乗らないような場合は,マスクなしでもいいと思う。しかし,世の中がマスク警察状態になっているので,ポーズのためにマスクはやむを得ないだろう。

 高齢者になると,たぶんいろいろな決め事が面倒になってくるのだろう。自分の人生経験に沿って,自分で価値観を決めてしまうのだろう。他人が何を言っても聞かない。自分の経験が長い分,かたくなに自己流を守ろうとする。ドライバーの免許証の返納をなかなかしないのもそのためである。

 高齢者ドライバーになれば,シニアマークをつけなければならないし,免許更新の際は認知症検査も行われる。面倒くさい。できることならさっさと返納したいと思っているのだが,そのうち頑固になってしまうのかなと思うと,気が重い。高齢者にもなりたくないし,高齢者ドライバーにもなりたくない。

 その前に,クルマ側がどこまで事故防止に対応できるのか,そして自動化がどこまで進むのかに,期待したいところである。乗り捨てても勝手に家に戻ってくれるクルマとか,迎えにきてくれるクルマとかができれば,免許なしでも生きていけるのだがと思う。これで,「高齢者」であっても「ドライバー」でなくて済む。そのうち,ああこの人も高齢者ドライバーだな,と見られる自分があってほしくないと思うのである。