jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。

福島原発の汚染水を放出する件

福島第一原子力発電所が,東北大震災の津波で被災し,水素爆発とメルトダウンを起こしたのが2011年3月。9年が経過する中で,問題になっているのが汚染冷却水である。今年時点で処理後の水は113万トン、保管するタンクは1000基を超えたという。土地の買収をさらに続けてタンクを作っても137万トンが保管の限度と試算されている。

 漁協を中心に,海洋放出についての反対意見は強い。すでに海洋汚染での風評被害で何年も苦しまされておられ,これ以上の汚染は耐えられないだろう。これが正論である。

 しかし,筆者はあえてこの汚染水は海洋放出するしかないと考えている。楽観的な考え方をすれば,自然にはこの汚染を拡散する能力があると考えている。悲観的な考え方をすれば,人類が海洋汚染をしているものが他にも膨大にあるのだから,もう何をやっても同じであるという考えである。

 放出の方法は少し工夫が必要だ。フレキシブルチューブを連続して製造しながら,太平洋の大陸棚の向こうまでチューブを設置し,深海に向けて放出する方法である。おそらく数十kmの長さのチューブが必要だが,近海の漁業への影響は限定的となる。

 放出しなかった場合,大震災から10年が経とうとしている今,東海を含めた次の地震の可能性がどんどん高まっている。同じ規模の地震が来た場合,保管タンクは一気に崩壊し,汚染水が近海に一気に流れ込むだろう。このことによる漁業へのダメージの方が大きいのではないかと考えるのである。

 放出した場合も,現在の全量を放出するのに40年以上かかるらしい。その間に大地震が来ないという保証はないが,タンクの水位を平均的に下げることでタンクの崩壊の危険度を減らすという効果もある。

 ここ数年,水による被害が各地で起きている。東日本大震災における津波は,リアルタイムで報道を見,またその被害の進行過程が多くの映像で記録され,その破壊力を知らされた。その後の豪雨や台風による土砂災害,そして一級河川の堤防決壊,逆流による内水氾濫など,水の力の恐ろしさを感じている。新型コロナウイルスの影響で海に行けなくなった分,川遊びに行って足を取られて亡くなるケースが増えたという。

 感覚的に言っても,液体系の商品は重たい。ビールでもペットボトルでも液体洗剤でも,スーパーマーケットで買って持って帰ろうとするといちばん重たく感じる。大雨でほんの10cm,歩道が冠水して流れていても,そこを歩こうとすると足にかなりの抵抗がある。膝まで水が来るともうほとんど歩けなくなる。ここで倒れたら水を飲んで溺れてしまうかもしれない。クルマでも進むことは困難で,エンジンも停止してしまう。

 水は,人や生物の生命にとって欠かせないものである。豊かな自然や,四季を彩ってくれる。しかし同時に,雨も雪も川も海も,自然の力の中では持続的な被害をもたらす。(もちろん,火災も持続的である)。

 同時に,水が育む微生物が偉大な力を発揮する。ゆっくりではあるが,プラスチックを分解する微生物も見つかっている。トリチウム汚染水を無害化する力を海は持っているのではないかと期待しているのである。プラスチックの廃棄はこれ以上進めないことは重要だが,トリチウム汚染水は今回限りだと考えれば,何とかなるのではないかと思っている。科学的な根拠は何もないが,自然の潜在能力を信じたいのである。

 事故発生から9年の間に,有効な処理技術が開発できなかった。物理的,化学的,バイオ的なアプローチが,真剣に行われたのかどうかは不明である。人的な被害の救済も満足にできていない中で,十分な研究費が用意されたとも思えない。一方で,日本での原子力関連の研究者も非常に少ないように感じる。東京電力だけが悪者にされているのは違うのではないかと感じる。

 汚染水を海洋放出すれば,今後は漁業補償の問題が生じるだろう。しかし,近年のさまざまな漁獲高の減少は,人類が共通に進めてきた文明の発達が基本的な原因である。この補償を誰に問うのか。養殖ですら,ベースとなる海水は自然が作り出したものである。ここに大量の消毒液を流して魚の病気を防いでいるのも漁業者である。その消毒液が環境にもたらす影響も実は計り知れない。

 筆者は,農業,漁業の一次産業のかなりの部分を工場経営できる農業工場や陸上養殖にすることを理想としている。水をコントロールし,光をコントロールし,天候に左右されずに安定的に食糧を確保することこそ,人類の知恵ではないかと考えるのである。自然から搾取する図式は,そろそろ終わりにしないと,人類は生き延びられないだろう。