jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

年寄りドライバーの恐怖

筆者の住まいは,東京から急行で30分,田舎と都会の間のような住宅街にある。街中にはまだ畑が結構あるし,そこここに同じ苗字の家が並んでいる。かつては広い農地を所有していた地主がおり,その末裔がその土地を分割して所有しているのだとわかる。経済が滞っている現在,農地を所有している家は税金面での優遇に加え,土地の切り売りで凌ぐことができる。またアパートを建設して所有権を持ったまま人に貸すことで,不労収入を得ることができる。いいご身分である。だいたいこういう家には,国外産のクルマが置いてあったり,家の周りをうろうろしたり,日向ぼっこをしたりして,時間を潰している。こういう人生は楽しいのかなと思ったりする。

 農地がまだまだ多いことも手伝ってか,住人の1/3は農業従事者に見える。東京から中途半端な位置にあるため,ほとんどが年寄りである。しかも,農業関係者は軽自動車の所有が多いような気がする。街中を走っているクルマは,半分以上が軽自動車である。

 「ケイ」という響きも嫌いなのだが,昔のペラペラのクルマのイメージが抜けなくて,いまだに軽自動車には抵抗がある。車幅が狭くて重心が高いので高速道路などで不安定なのではないかとか,サスペンションが貧弱なので乗り心地が悪いのではないかとか,タイヤが小さいから滑るのではないかとか,エンジンが非力なのでスピードが出ないのではないかとか,衝突したらすぐにつぶれてしまうのではないかとか,さまざまなマイナスイメージを持っている。安かろう悪かろう,というイメージである。

 以前は100万円も出せば買えた軽自動車だが,現在は150万円を優に超えてしまう。衝突安全性も普通車並み。衝突回避の安全装置も装備でき,自動運転車も登場した。とてもケイとは思えなくなっている。それでもやはりケイには乗りたくない。

 そして,そのケイに乗っているのが,年寄りと女性,と筆者は相場を決めている。実際,すれ違うケイのドライバーは,年寄りか女性が多いように思える。

 女性はともかくとして,年寄りドライバーはやはり怖い。メガネをかけ,帽子を被って運転している。視力に問題があるのではないかと疑ってしまう。筆者は現在,マスクを着用して運転しているが,マスク着用歴20年と慣れた筆者でも,運転時にはマスクが気になって運転に集中できないときがあり,鼻だけ出したりすることもある。帽子も同様で,身に着けるものが多いほど,運転に集中できないと思っている。

 また,普通のドライバーは,歩行者とすれ違うときなど,スピードを落とし,歩行者の方をチラッとでも見て,安全間隔を確認したり,万一妙な動きをしないかを確認し,通り過ぎてからスピードを上げる,というメリハリと注意確認動作がある。しかし,年寄りは前を向いたまま,スピードも変えず,場合によっては進路を変えることもしない。

 逆に,信号が変わってもなかなか発信しなかったり,ノロノロと加速したり,さらに前方の信号が赤だと,100m以上手前でもブレーキをかけ,スピードを落としたまま,またノロノロと交差点に近づく。結局交差点まで到達しないので,またアクセルを踏んで加速したり,とにかく運転のムラが多い。周囲のクルマに合わせることもしない。右折サインも,直前にしか出さない。

 年寄りドライバーは,基本的にベテランドライバーである。自分の運転歴の中で,運転には自信を持っている。身体も脳も衰えており,反応速度も反応力も落ちている。それなのに,平気で自分勝手な運転をしている。逆走車に年寄りが多いのもうなづける。

 今年,筆者も前期高齢者の仲間入りをする。すでに,若いころとの感覚の違いを認識しているし,視力も乱視が入ったりして怪しくなっているのを認識している。自分が加害者になるのが怖い。いつでも免許を返納する気持ちを持っている。年寄りドライバーと言われたくない。そしてケチ臭く軽自動車にも乗りたくない。早く,本当の自動運転車がコミューターとして利用できるようになることを望んでいる。