ある程度は人によるのだが、すれ違いのときに同じ側に避けて「オジギ」状態になることはよくある。
船がすれ違うときは、世界共通で左側通行である。直角に交わるような場合は、相手が左に見えた方が進路を譲る。そういうルールなっている。
ところが、人にはルールがない。「左に避ける」としてくれた方が楽なのだがとよく思う。
最近、特に感じるのだが、「右に避ける」人が特に若い人に多いように思うのである。それも、どうみても左側すれ違いの場面で急に右に進路を変える傾向にある。
もう一つ気になるのは、周囲の流れに乗ってくれない人が増えたと感じる。スマホ歩きしている人は特にひどいが普通の人でもなぜかゆっくり歩いているのである。
若い人が多いので,その原因を一つ仮説を立ててみた。それは,行進の訓練を受けていないのではないかということである。
幼稚園ではきれいに行進をしているが,小学校から高校まで,整列行進の機会は運動会とその練習ぐらいしかないように思う。筆者の時代は,行進はもっと日常的な行事だったように思う。右向け右,前へならえなど,毎日のようにしていたような気がする。
自転車の通行も,クルマの通行にあわせて左側通行である。その後,クルマの運転の練習をしているときも,左側通行が当たり前だった。したがって,左側通行を身体が覚えてしまっている。
これまで海外でクルマを運転したのは,ハワイでのただ一度だけ。左ハンドル車で右側通行というのを初めて経験した。右左折でやはりちょっと迷い,あやうく反対車線に入ってしまいそうになったことが一度だけあり,ヒヤッとしたものである。
筆者のように「左」「左」と育ってしまった人間にとって,人の右に入ることはまずない。自分で決めてしまっているからだろうと思う。しかし,行進の訓練をして来なかった若者は,右でも左でもこだわりがないのかもしれない。実際,車道の右側を自転車で走る若者によく出会う。クルマの左側に突っ込んでくるような形になり,引っ掛けてしまわないかヒヤッとする。本人はクルマが近づいてくるのが怖くないのだろうか。
逆に,左側通行という自分の中のルールがなくなってしまうと,老人のクルマの逆走が起きるのかもしれない。何十年もの運転歴が,妙な自信になって,ブレーキの代わりにアクセルを踏んでも気が付かなかったりする。逆走もこの意識の欠如なのかもしれない。しかし,逆に無意識なら左側通行を自然にしてしまうように思うのだが,なぜ逆走が起こるのだろうか。