信号が青になったらいきなり渡り始める歩行者が問題になっている。ここでもしクルマにひかれたら、クルマのドライバーが100%過失運転と判断されることになるからである。
もちろん、クルマ側の信号は赤なので、停車しなかったクルマ側に100%責任はある。しかし、クルマが走る凶器であることに変わりはない。ぶつかれば被害が大きいのは歩行者である。
したがって、「青は進めではなく、進んでもいい、という意味だ」と教わってきた。道路を渡る時は「右を見て、左を見て、もう一度右を見て」渡ろうと教わってきた。
クルマのドライバー側にうっかりがないと信じられる根拠はまったくない。もちろん、運転中は常に安全を心掛け、ルールを守ることは当然なのだが、だからといって完全ではない、もし完全なら事故が起きるはずがないからである。
クルマ側の装備は年々機能が上がり、今や、停止しているクルマや人の飛び出しにも対応できるという安全装置が開発され、搭載したクルマも走っている。しかし、回避できないケースもある。そもそも機械そのものが壊れて作動しない可能性もある。頼れるのなら、すでに無人運転車ばかりになっているはずだからである。
一方、歩行者側の不注意の多くは、スマホ歩きである。信号が変われば、ブザーが鳴る。これを合図に歩き始めれば、スマホ画面から視線をはずさずに歩き始めることもできる。これが,左右確認もせず,しかも向かってくる人すら見ずに歩き始める。これではクルマにも人にもぶつかってしまう。
信号ではあくまでも歩行者優先である。しかし,相手のクルマが必ず停まるという保証はない。やはり自分の命は自分で守るために,信号で自分で安全確認するのは当然だと思うのだが,スマホに心を奪われていては,もはや人としての最低限の常識的な判断もできないのかもしれない。
さて,この話題が気になったもう1つの理由が,「ノールック横断」という言葉が引っ掛かったからである。なんだか和製英語っぽい響きだなと感じた。
英語でもスポーツの場面で使うことはあるようで,no look pass(ボールを視線とは違う方向にパスする=バスケットボール)やno look shot(クリケットで撃つ方向を見ないでバットを振る),no look catch(ボールを後ろ手でキャッチする=野球のイチロー選手がパフォーマンスでやっていた)などがあった。しかし,これらは意図的に視線を外して相手を撹乱する作戦であり“技術”である。最近はあまり使わない傾向にあるblind passなどという言い方に相当する。
では「ノールック横断」はどうだろう。これは作戦でもなければ技術でもない。ただの「怠惰」で「無神経」な行動様式である。こういうところに不用意にカタカナ語を使うところに,今のメディアの無神経さがあると感じるのである。