東京オリンピック2020が開催されるという前提で,準備が慌ただしく進められている。選手は,宿泊施設と会場,練習会場の3ヵ所に行動を制限するバブル方式での運用が提案され,バブル以外へは出られないことが取り決められている。競技に集中する選手は,おそらくこれを守るだろう。
一方,会期中に来日する予定の海外の報道陣については,「GPSで厳しく行動管理する」とオリンピック組織委員会の橋本聖子会長が発言した。
新聞やテレビの記者は経験したことがない筆者だが,取材とは読んで字のごとく材料を集めるのが仕事である。記事の材料は,発表資料だけではない。記者会見での質疑応答もあるし,そのあとのぶら下がり取材もある。写真も,会見の写真だけでなく,会場の写真,さらに会場のある建物の写真なども集める。単にデータとして集めるだけでなく,自分の足で歩き回って,まったく関係のない人にインタビューしたり,別の場所から写真を撮ったりして,独自性を出そうとする。それが記者であり,報道カメラマンである。もらったニュースリリースをチャッチャッとまとめて発信するのは報道ではない。
海外の報道陣なら,なおさら好奇心は強い。日本という特殊な国の中でオリンピックがどう進められるのか,歩きまわり,取材をして,記事にするのは当然である。その記者やカメラマンの行動をGPSで管理できるか,といえば「無理に決まっている」としか言いようがない。
GPSで行動を管理しますよ,と言われて「はい,そうですか」という報道陣は1人もいない。ただでさえ好奇心の強い職業人である。警察の規制線を越えるなどお手の物。外出禁止令が出ていてもホテルでのんびりしている報道陣など1人もいない。GPSで管理されたスマホを部屋に置き,別のスマホやトランシーバーを持って勝手に外出するなど,目に見える。日本人ですらそう思うのである。
強制的にGPSタグを身体に埋め込む,などということは実現できなくはない。やるならこの程度までしなければ,GPSでの行動管理などできない。しかしこれはもう人権問題である。ちなみに,GPSタグを身体に埋め込まれたとしても,普通の報道陣ならそのタグを手術して取り出してでも,外出するだろう。
普通の人でも,GPSで位置管理をしたいと思うことはある。GPSをクルマや自転車に付けておき,万一盗まれたときでも見つかるようにしたい,という目的のGPSタグは何種類か発売されている。これを,自分のクルマに付ける人は実際には少ない。しかし,悪ふざけも含めて他人のクルマに貼り付け,その位置を取得するという犯罪行為も起きていないわけではない。スマホにアプリを勝手に入れてGPS機能で位置検出して浮気調査をするなどというのもドラマではあるが,実際は犯罪行為である。
高齢者の見守りのために,GPS発振器を持たせるセキュリティ提案はあるが,徘徊してしまう高齢者がGPS発振器をいつも持ち歩いていることも考えにくい。
以上のことから考えても,6000人もの報道関係者をGPSで行動管理するというのは,絵に描いたモチみたいなもので,ネコの首に鈴を付けるがごとく,理想論ではあっても実現性は極めて低い。
ドラマでは,容疑者の行動管理は「張り込み」か「監視カメラ映像の分析」しかない。しかし当然のことながら,報道陣の行動監視はプライバシーの侵害に相当するから,これもできない。犯罪捜査でも,GPS発振器の使用は違法とされている。
以上を見ても,GPSで行動を管理する,という発表があった段階で,これは発表会場の記者が実現性をもっと追及すべきで,こんな報道が大手新聞社も含めて堂々と流されること自体がおかしい。自分の行動がGPSで把握されることを考えれば,真っ向から否定してもおかしくない話題である。
同じように,オリンピック貴族の行動もGPSで監視する,ということができるのか,と言えば,これも絶対にできないはずである。「無礼者!」の一言で片付けられてしまう。
筆者がある新築の工場の合同取材に参加した際,機密設備とのことで,カメラや携帯電話をすべて入り口で預けさせられた。取材はコメントと記者の感想だけ。写真は後日,配布したものだけ,という管理だった。与えられた写真は,肝心の設備が写っていなかったので,「この設備の向こう側に○○の設備が置かれていて,長さは○○m・・・」などと言葉で説明した内容になった。
当然のことながら,外観写真ももらいデータでしかないことが予測されたため,取材開始前にタクシーを飛ばし,工場が見える別の場所から遠景のカットを収めて掲載した。今なら可能ならドローンを飛ばすこともできただろう。
このように,ジャーナリストはオリジナルなデータを探しまくるものなのである。もし,報道関係者の行動を管理するなら,報道関係者1人に対して1人,監視者を付けるしかないと思う。入国の段階からバディーとして常に行動を共にする。通訳の役割も兼ねる。ただし,宿泊施設で夜の行動を共にするかどうかまでは残念ながら結論が出せない。できれば一緒にいてほしいが,さすがに難しいかもしれない。
行動の監視は,それほど必要である。動き回るマスコミも問題だが,たとえばほとんど観光招待旅行気分でいるオリンピック貴族様も,監視者を付ける必要がある。いかに難しいかが分かるだろう。
海外からの観客は入国させないことになった。国内の観客は国立競技場で定員の6万8000人のうち1万人ないし5000人となりそうである。とうぜん,報道関係者は競技だけでなく観客の取材も行い,接触はありえる。報道関係者が規定の場所にとどまったとしても,報道関係者と接触した一般の観客が国内にまた散らばっていくことも考えられる。やはり,日本の観客も無観客にし,選手と報道関係者だけでオリンピックを開催し,あとは映像中継する,という方法しかないのではないだろうか。「オール・オンライン・オリンピック」で行こう - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/3/20。海外からの観客の案内などに登録していたボランティアの方々を,報道関係者の案内に回せば,6000人ぐらいは動員できるのではないだろうか。