jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

後期高齢者の運転免許強制剥奪とサポート体制の整備を

クルマのEV(電気自動車)シフトが加速しようとしている。エネルギー効率からすると,電力でモーターを直接駆動して運動エネルギーに変えるEVは,燃料を燃やしてその爆発力を運動エネルギーに変えるエンジン車よりもはるかに効率が高いらしい。しかし,電力を供給するバッテリーは,貴金属電極が必要で,電力を貯めるために必要なエネルギーと,そこから取り出せるエネルギーの差があって,無駄が出る。さらに,この電力を得るためには,現状では石炭や石油を燃やす火力発電所が必要であり,結局,EVに全数変換しても,二酸化炭素の排出を減らすことはできないのだという。

 で,どうすればいいかというと,自家用車とタクシーをなくして,カーシェアリングに変えることだという。自家用車の稼働率は1%以下で,製造のためのエネルギーに比べてモノを動かすという目的にはほとんど役に立っていない。自家用車をすべてなくして,必要なときだけカーシェアリングすると,今のクルマの1/10で済むという。

 カーシェアリングの仕組みが進めば,タクシーはほぼ不要になるという。シェアリングで運転している人が,ほかの人の移動ニーズを受けて便乗してもらえばいいからである。

 ほかに,自家用車で問題になっているのが,高齢ドライバーによる事故の増加である。事故のニュースを聞くたびに「ええ,90歳?」「ええ,89歳?」と驚く。つい最近起きたバス停留所に突っ込んだ事故は71歳だったが,感覚的には,75歳以上,つまり後期高齢者の事故率が急に高くなっているように見える。

 そこで提案だが,持病がある場合は70歳になったら,また持病のない場合は75歳になったら,運転免許を強制剥奪することを実現してほしい。

 正直言って,それぞれの年齢までは,自分で判断する能力を持っている。したがって,免許剥奪について,このあと提案する「代替サポート体制」も理解することができる。しかし,この年齢を超えると,明らかに認知能力が下がる。運転する能力だけでなく,物事の善悪の判断をする能力も衰える。自分の運転能力への過信と,自分の健康状態に対する判断ができなくなっている。このことが,運転を継続し,事故の確率を上げていると考えられる。「70(75)になったら,もう運転はできませんよ」と法律で決めることである。

 さて,自家用の足を失った高齢者はどうすればいいだろうか。必ずしも自分の子供に頼ることはできないのが現在の日本である。そこで,自治体や自治会を登録元とするカーシェアリングの体制を整備するのである。1人の高齢者に対して数人がサポートできるようにドライバー登録し,高齢者が移動の必要があるときには,運転してもらうのである。

 この制度のいいところは,ドライバー登録した人の人物保証を自治体が行うことで,安心して利用できることと,登録した人には報酬が与えられるため,一種の雇用を生み出せることである。また,たとえば週1回の利用であっても,高齢者の健康と安否の確認ができ,これを自治体が実態をつかめることである。また,認知症の進行具合も,第3者の視点で判断でき,早期の発見ができることである。高齢者にとって,肉親以外との付き合いは,精神的な刺激にもなる。

 若い人にとって,高齢者のドライブという仕事が楽しいかどうかはわからない。しかし,今や「円安」=「悪い円安」となっている日本である。円安はかつて,「世界の工場」と言われた日本において,製造した製品を世界中に輸出して外貨を稼ぐというビジネスモデルにおいて有効だった。今,海外に売るものを作れない日本では,円安はエネルギーや食糧を大量に輸入する際の負担増となり,日本は沈没しかかっている。寿命が延びても外貨を稼げない日本では,内需としての老人市場をもっと盛り上げるべきである。そこに高齢者の免許剥奪とカーシェアリング,若者の雇用創出というサイクルを持ち込んではどうだろうか。