jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

やはり『ヤバイ』は使わない方が日本語としてきれい

NHK で『ヤバイ』をベテランアナウンサーが話したことに、意見をした (芸能人といえば,年末年始が稼ぎ時,というのはもう過去の話 - jeyseni's diary 2022/1/1)。その後、そのコーナーを聞かない。内部的に自粛したのかもしれない。『素敵』という肯定的な意味で若者が日常的に使うことで、2018年に10年ぶりに改訂された『広辞苑』第7版でも取り入れられ、市民権を得てしまったが、やはりいいことばではないと筆者は思う。

   最近のCM で『マズイ、しまった』という本来の意味で「ヤバイ」が連呼されていたが、やはりこれもいただけない。「しまった」でいいではないか、と思うのである。

   筆者が記者生活を始めたころ、先輩記者から「濁音の入る言葉は響きが汚いからできるだけ使うな」と指導された。「意味もなく『が、』で文章をつなぐな」とも教えられた。前後で論理が本当に逆になるのかを考えることと、やはり「が」という濁音の響きの汚さが問題なのだと認識している。

   同社は、記者一人ひとりに「記者ハンドブック」を配布し、基本的な言葉の使い方にルールを叩き込んでいた。無理な使い方があったので、編集部で議論して一部を独自のルールに変更して、より自然に読める工夫をした。現在の筆者はさらに自分の感性にあったようにルールを決めている(このブログは、意識的に多少、外しているが)。

   しかし、濁音が汚いという感性は基本的に引きずっているし、できるだけカタカナ言葉を使わないという意識もある。ネットニュースを見ると、これは文章を書く教育を受けていないな、と感じることが多い。大学教員の文章をは、論文執筆のための教育指導がされているので、論理の破綻がなく、安心して読めるが、高校教員になると、文章展開が無茶苦茶なものが多い。評論家も、文章がやたらと長いだけで、まとまりのないものが多い(このブログも長すぎるのが難点であると認識はしているのだが、勢いが止まらない時がある)。

   文章の起承転結は、新聞の「天声人語」などで勉強しろと言われたが、今や、新聞を読まない人も多い。日本語がどんどん汚くなるのは、やはり悲しいものである。筆者がベストセラーものを拒絶するのも、同じ理由による。