jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

ノーベル平和賞は西側の論理--経済学賞,文学賞も疑問。環境賞,エネルギー賞,食糧賞に衣替えを提案

2022年のノーベル賞受賞発表が相次いでいる。生理学・医学賞,物理賞,化学賞までは順当に聞いていたが,平和賞の発表を見て,このノーベル賞は西側諸国の論理で選考されていることを改めて感じた。

2022年の平和賞受賞者は,▽ベラルーシの人権活動家のアレス・ビアリアツキ氏,▽ロシアの人権団体「メモリアル」,▽ウクライナの人権団体「市民自由センター」。

 人権活動=平和活動,という構図が見えており,「ロシア国内の人権団体」という位置づけは,ロシア政府にとっては歓迎できない受賞ということになる。ベラルーシも同様である。

 経済学賞もおそらく自由主義経済の中での成果,文学賞も西側のフィルターのかかった選考になることは目に見えている。

 もともと,アルフレッド・ノーベルが発明したダイナマイトが,本来の建設的な利用法以外に戦争でも使われてしまったことを受けて,平和に対して貢献した人にも賞が与えられる形になったものと認識しているが,平和を目指す世界でありながら,いまだに軍隊を形成し,武器を製造し,そして戦争をしているというこの社会そのものが矛盾している。人権団体に賞を与えたからといって,世界の認識が変わることはない。

 生理学・医学賞は,純粋に人類の生命,健康に寄与する貢献を,物理学賞,化学賞は人類の文明の発展に貢献した発明を,それぞれ賞するという意味では,世界中で賛同が得られるが,平和賞,経済学賞,文学賞は,世界の7割を超えようとしている権威主義国家では受け入れられない賞である可能性が高まっている。

 もし現在も続いているロシアによるウクライナ侵攻を,中国の習近平主席がプーチン大統領を説得して停戦に至ったとすると,習近平主席にノーベル平和賞を与える,という選択をノーベル財団はするだろうか,と考えると,それは有り得そうもない。しかも,現時点でロシアが停戦に応じたとしても,ウクライナは東南部4州を取り戻そうと戦争を続けるだろう。そうすると,今度は西側の論理がおかしくなってくる。平和を推進する立場としては,ウクライナを非難しなければならなくなるからである。

 Japan Prize(日本国際賞)では「世界の科学技術」とはっきり銘打って物理、化学、情報、工学」領域と「生命、農学、医学」領域の2領域での選考を行っている。これに平成天皇上皇上皇后)による「平成記念研究助成」が分野不問で加わった形になっている。

 ノーベル賞も,科学技術に特化した方がいいのではないか。各賞には日本円で約1億円が授与されるが,科学技術にはもともと多大なる経費がかかっているので,その補助という意味合いがあるが,それ以外については,活動資金の援助,という意味合いにしか見えない。今回の平和賞で,ロシアの活動グループに西側から資金援助をする,という構図は,ロシア政府から見ると明らかに敵対的な行為に見えてしまうからである。

 文学賞もその選考過程に無理がある。基本的に「文字」の文学が対象になっている。言葉は,残念ながら世界共通ではない。翻訳されたからといって,内容が伝わるわけではない。むしろ,アニメや音楽,映画などの方が世界への影響は大きい。それぞれの分野で賞が設立されているので,逆に世界文学賞というのがない方がおかしく,ノーベル賞の中に入れる必要もないように思える。ノーベルが求めた賞ではないように思えるからである。

 科学技術に特化すると,そのうち火星移住を実現しようとしているイーロン・マスクが受賞したり,メタバースに逃げ込むマーク・ザッカーバーグが受賞したりするのだろうか。しかし,彼らにとっては1億円など端金(はしたがね)に過ぎないだろう。

 それにしても,物理学賞も化学賞も,サイエンスの基礎分野であり,恵まれない科学研究者へのご褒美のようにしか見えない。逆に,生理学・医学賞の分野は基礎から応用への展開が現実的であり,すでに多くの利潤を生んでいる場合も多い。今回の「人類の進化」を明らかにしたスウェーデンのペーボ博士のような基礎研究での受賞はむしろ珍しい。

 現実問題としては,平和賞,経済学賞,文学賞をやめて,「ノーベル環境賞」「ノーベルエネルギー賞」「ノーベル食糧賞」に振り替えた方がいいのではないか。混迷を始めた21世紀に入った段階で,衣替えすべきだったと思われる。今からでも遅くない。ノーベル賞2023は,構成を変えて臨むべきだろう。