jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「正義」というのは難しいし面倒なもの--説明責任を果たしても受け付けない相手もいる

リーダーというのは大変である。すべてルールで決められた組織のリーダーなら,そのルールに従わない者を罰したり処分すればいい。今風に言えば,コンプライアンスである。これを守ることが「正義」である。

 しかし,ルールやコンプライアンスは組織ごとに異なる。その組織のリーダー同士がぶつかり合うと,そこに複数の「正義」が存在することになる。どちらの正義もそれぞれの組織にとっては正しいが,相手から見たら間違っていることがほとんどである。そこで衝突が起きる。それぞれの「常識」「考え」が異なるからである。

 国同士の「正義」のぶつかりが戦争になる。政党同士の「正義」は,「多数決」のルールで決着させることが「国会」のルールなので,多数決に勝つ組織を作らなければならない。そのためには,金も宗教も何でも使う。とどのつまりは「お金」である。

 国同士で正義をぶつけ合って折り合いを付ける話し合いは,いわゆる「タフ・ネゴシエーション」になる。理屈を言っても始まらない。おそらく,ガンとした態度での交渉の中でちょっとした糸口を見つけるといった綱渡りの交渉になるだろう。一歩も引くことなく,相手の妥協を引き出すといった交渉になる。懐柔策も必要だし,行動力,交渉力が求められる。そういう意味で,トランプ氏は求められた存在だとも言える。相手がプーチン習近平金正恩,ネタニヤフ,そしてゼレンスキーだからである。正直言って,日本など相手にされていない。単に突っぱねるだけで勝手に折れてしまうからである。

 一方で,国民はこの政治の組織の中に組み込まれていない。ルールもコンプライアンスも効かない人たちである。そこでは人柄や年齢のほか,女性やマイノリティといった要素も加点の対象になる。そこに政策が適切で,さらに説明もきちんとされていることが支持を維持できる要因となる。ただし,美辞麗句を並べたり,キャッチコピーを量産するだけでは信頼は得られない。そこにはセンスも求められる。

 政治が暴走したとしても,経済が発展し,生活が豊かになっている間は,国民は政治には関心がなく,政治側も説明責任を果たさなくても良かった。戦後の自民党のやり方である。しかしバブル崩壊後も,裏金,宗教との癒着,そして説明のない状態が腐敗を増長し,今に至っている。今さら何を説明されても,国民の半分は受け付けない状態になっている。

 ルールの変更が本当に国民のためになるのか,単に政党間の勢力争いの交渉のツールなのか,真剣に議論し,きちんとしたシミュレーションをし,国民に説明し,最適な道を選ぶ必要がある。その前に,問題の根本がどこにあるのかをはっきりとさせ,政治家自体の在り方についてもっと議論を深める必要があるのではないだろうか。政治の目的は何か,そのためのすべき仕事は何か,はっきりさせなければ,正直言って利益を追求する一般企業と何ら変わりのない「数の論理」だけの組織にしか見えない。本来の目的である「国民の幸福」「国の発展」を今の政治家が忘れてはいないか。

 これは,国だけでなく,地方自治体のリーダーにも当てはまる。しかし,本来なら退陣のはずが,なぜか支持者を増やしている人物がいるのはなぜなのか,ここは検証すべきだろう。「お金」以外に幸福ホルモンの出るプラットフォームが蔓延しているのが原因なのかもしれない(ゲーム,アニメ,その他のオタク文化・・・)。