jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

構築には何年もかかるが破壊は一瞬--再生できない命を奪う行為は許されるものではない

ウクライナ侵攻前のマリウポリの街の様子がInstagramにアップされている。平和で美しい街並みである。人々の笑顔も写っている。戦争はあらゆるものを破壊し,燃やし,瓦礫の山を産んでいる。何十年もかけて構築した街並みが,ミサイルや砲弾によって一瞬のうちに破壊されている。そして,人の命も失われている。

 2022/4/19からさらに激しい市街戦も始まってしまった。軍隊同士の戦いなら3ば相互の銃撃戦だが,ウクライナ側には一般市民も丸腰で残されている。その市民にも銃口が向けられている。これは殺人である。人が人を殺すのは,いかなる場合も許されるものではない。ロシア軍にはもはや人としての理性がなくなっているのだろうか。

 現時点では,砲弾もミサイルも,前線に際限なく供給される。ミサイルは目的地からはるか手前から発射されるため,潤沢に次々と供給され,ウクライナ国内に打ち込まれ続けている。かつての戦争では,補給路を断つという作戦で戦況を変えることができたが,ウクライナ侵攻ではロシア側は広大な補給路があり,またウクライナ側も孤立しているマリウポリ以外は,NATOからの支援の道が残されている。ミサイルを含む通常兵器による戦いも終わりが見えないし,その先に懸念されている核兵器による攻撃も,かつて広島・長崎で1発ずつの原爆で終結したような単純なシナリオを描くことができない。

 許さない,ということは罰を与える必要があるということである。そのためには,身柄の確保が必要になる。西側諸国は,サイバー技術,AI技術を駆使して,プーチン大統領の居場所を探し出し,足止めと確保を目指す段階にあるのではないだろうか。時間が経てば経つほど,一般人の被害が確実に増える。これを何としても止めなければ,正義,人の道義,理性は成り立たない。