jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

教員は「先生」のはずだが,なぜ尊敬もされず,タダ働きなどと言われるのだろうか

違和感がぬぐえない「教職調整額10%超」の〝騒ぎ方〟(前屋毅) - エキスパート - Yahoo!ニュース (2024/5/13)。教員の働き方改革が言われて久しいが,「教職調整額」を給与の4%から10%にするという中央教育審議会中教審)の提案が,結局は「無制限の残業」を容認している,として各所から批判が上がっている。

 計算だと,月給30万円として調整額がこれまでの1万2000円から3万円に上がる,ということになる。

 筆者はマスコミの世界に入ったが,40年も前の当時の労働時間は無茶苦茶だった。毎日何らかの締め切りがあり,これを出さなければメディアに穴が開く。締め切りを死守するためには残業も当たり前で,制限もなかった。最終電車に間に合わないことも何度もあったし,泊まり込んで徹夜仕事をしたこともあった。メディアとしての使命感がこの過酷な仕事を支えた。達成感がそれを支えた。

 この無制限な残業に対しては「みなし残業」として一定時間分の残業代が付いたが,いわば同じく「定額残業代での無制限残業」だった。ただ,すべての仕事が自分の責任であり,ムダな作業はなかった。

 マスコミの仕事は,そんなものだと思っていたので,大変だったが疑問にも思わなかった。広告代理店の仕事は,もっと過酷だとも聞いていたが,自殺したり,それを労災認定のための裁判を起こしたり,などと聞くと,甘いなとも思ったりした。

 教員の仕事は,マスコミや広告代理店の仕事とは性格が異なる。授業時間は朝から夕方まで一瞬も気を抜けない。昼休みが1時間あるといっても,その半分は給食で子供たちと一緒にいて気を配る必要がある。

 授業が終わると,翌日の授業の準備がある。今日の授業の結果をまとめ,報告書も作らなければならない。生徒の相談,親からの相談に応えなければならない。授業で配布する資料のコピー,授業で使う小道具の作成など,細かい仕事がある。

 授業の間,子供に対して100%真剣に立ち向かうのは,教員としての本来の仕事であり,やりがいのあるところである。しかしそこでも,子供同士のぶつかり合いがあったり,さまざまな事件が起きる。100%の意欲では足りないかもしれない。そして授業以外の時間は,黙々と作業が続く。

 ゆとり授業が問題視されて,現在はまた教科書も分厚くなり,多くのことを教えなければならなくなった。英語や情報,プログラミングなども科目に入ってきた。各クラスの担任教員1人で1年間で処理できる仕事量を遥かに越えているように思える。

 補助教員の仕組みはあるが,正教員が病欠や産休,育休などに入ると,絶対的な教員数がさらに足りなくなる。筆者の感覚からして,教員数を3倍にしてちょうどいいぐらいなのではないかと思ったりする。

 公立学校なら,給与も安定しているし,将来の年金も保証されている。一般企業よりは安定した仕事だと思われる。しかし,仕事量に見合った給与ではないようにも見える。

 教育を担う教員や,医療を担う医師,看護師,物流を支える運転士など,社会インフラを支える仕事は「エッセンシャル・ワーク」と呼ばれている。一般にキツイ仕事の割にそれに見合った収入ではないことも多い。かつては,働けば働いただけ収入が上がる,というイメージもあったが,仕事量そのものが増え続けている結果,オーバーワークによる心身の健康被害が社会問題となり,2024年4月から労働時間の制限が始まった。

 これにより,医療機関では予約で患者数を制限したり,かかりつけ以外の医師の診断を受けたりするように改善が図られている。物流業界では,配達日数を延ばしたり,他社との混載を模索したりしている。しかし,教員の仕事は限られた日数で所定の仕事を終わらせなければならず,その仕事量も増えていることから,時間どおりに終業できる教員はほとんどいない。そこに調整額を増やしたからといって,仕事量が減るわけでもなく,さらにいったん下がったモチベーションを取り戻せることもない。教員の仕事はキツイとして敬遠する傾向がますます高まり,教員数の減少によってさらに仕事の量が増える結果となっている。

 また,共働き家庭がほとんどになったことから,教育だけでなく躾(しつけ)まで学校に責任を持たせようという家庭が増えた。PTAへの協力も減り,逆に教員を吊るし上げるようなモンスター・ペアレントも増えている。なぜこうも教員が尊敬されなくなってしまったのだろうか。

 教員は,給与は安定しているがそれに見合った以上の仕事を無制限にやらされている,という意識があり,それがまた外部に伝えられることで,教員希望者も減っている。これではさらに仕事量が増えてしまい,教員離れというマイナスのスパイラルに陥ってしまう。

 教員も医療関係や物流関係と同様,「残業なし」を前提とし,それを補うために必要な人材確保の方法をもっと大胆に提案しなければ,教員の成り手がなくなってしまう。調整額をなくしてでも,残業もなくし,それに必要な施策として,補助要員をもっと柔軟に導入できる仕組みが必要である。そのためには,デジタルの活用をより進め,教材を十分に供給できる仕組みも必要である。

 まず,「教員倍増」を目指し,基本給与の大幅なベースアップが必要と考える。そうすれば,残業ゼロでも回していけると思う。

 教員は,将来の人材を育てるという大事なエッセンシャル・ワークである。教員の仕事は,10年後,20年後に花開くかもしれない生徒の第1歩を担うという,責任感とやりがいのある仕事だと思うのである。もっと先生方が生き生きと余裕を持って仕事に立ち向かえるような環境作りが必要である。

 まず「残業ゼロ」目標を,教員も打ち出すべきだろう。文部科学省自身が,残業を容認し,無制限残業を放置するという構図は,まったくもって無策だと思えるのである。物流業界,医療業界が,残業ゼロにどのように取り組んで成果を上げるのかをよく研究し,2025年4月目標で,「教員の残業ゼロ2025年」に向けて1年を研究,検討の年にしてほしいと思う。