アメリカの映画賞第96回アカデミー賞で視覚効果賞を受賞した「ゴジラ-1.0」。VMX技術を使って本物のシーンにCGの背景を合成し,低予算で効果的な場面を作ったことが評価されたようである。
筆者は映画そのものを見ていないので,スポット的に流れる映像から判断し,そのメイキングのプロセスを一部紹介した番組から類推しているだけなのだが,テーマがゴジラだけに破壊シーン,戦闘シーンが大量に盛り込まれているようである。
それは結構だが,それがなぜ今なのか,という点である。ウクライナ紛争が丸3年経っても終息しない。イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への侵攻でも,引き続き毎日のようにミサイルによる建物の破壊シーンや負傷者のシーンが報道される。2023/1/1に起きた能登半島地震から2ヶ月半経つが,建物の撤去も修復もほとんど手つかず状態である。
受賞に際して,こうした現実の破壊シーンに対する批判をし,エンタテインメントである映画やアトラクションの中だけのシーンにしてほしい,というメッセージを発するべきだったと思うのである。受賞が単なる糠喜びになったのが,なんとも残念である。
ストーリーそのものが未熟だったために,その他の賞はすべて受けることができず,テクニック賞だけになったという感じで,いかにも中身の薄い受賞に思えた。もっとすばらしいメッセージを発信できたはずではないのだろうか。
もう1本の受賞作品である「君たちはどう生きるか」の長編アニメーション賞についても,まったく同名の小説が1937年に吉野源三郎氏によって書かれており,2017年にはコミック本として「漫画 君たちはどう生きるか」が発表された。映画とはまったく設定も異なり,ストーリーも異なる。しかしもし,「吾輩は猫である」というアニメ映画を作ったとしたら,原作は夏目漱石だと誰もが思うだろう。なぜ,宮崎駿はわざわざ同じタイトルの別アニメを作ったのだろうか。しかも公開前の予告も出さず,公開後もSNSなどでの情報発信を禁じるという措置を取った。筆者にはこの取り組みはすべて有名になった監督の横暴としか思えないのである。
いずれの作品も,見るつもりはない。何だか日本人芸術家の懐の狭さを見せつけられたような気分である。
ついでに言うと,「-1.0」を「マイナスワン」と読ませたところも気に入らない。言葉として非常に不正確であり,英語に対する冒涜に見えるからである。どうも,「進撃の巨人」あたりから,作品タイトルの付け方がおかしくなってきたように思う。海外の人に対して,どう説明すればいいのか,はなはだ困った問題であり,日本人の言語能力の低下をさらけ出しているように思えるのである。