今となっては誰も信じられないだろうが,かつてパソコンをネットワークにつなごうとすることは大変面倒なことだった。ネットワークにつなぐためには,電話回線を使う必要があった。電話回線につなぐためにはモデムという機器をつなぎ,これを固定電話のコネクタに差し替え,いわば「電話」や「ファクス」でつなぐ要領で電話をかける必要があった。外出先でノートPCを使う場合も,同じくモデムで固定電話回線につないでいた。主に使うのは電子メールの受発信であり,情報検索のためのデータベースはなかった。
一方で,固定電話が携帯電話へと進化し,移動しながらの電話連絡はできるようになった。携帯電話でメールの送受信ができるようになったが,通信料金が高く,「なるべく短時間に用事を済ませて切る」といった使い方だった。
ノートPCといっても,重さが3kgもある代物で,バッテリーの使用時間がせいぜい1時間だった。移動中といっても,通勤電車か,新幹線の中で30分ぐらい集中して仕事をするのに使える程度。もちろん,今のようにAC電源のコンセントが新幹線車両にあるはずもない。携帯電話をモデムにして移動中に通信しようとしても,通信は不安定でほぼ使い物にならなかった。
ノートPCで管理する情報のうち,個人の予定表を持ち歩く「電子手帳」が登場した。電卓も入っているし,ゲームや表計算などの個別機能を加える電子カードを差し込むことができた。「いずれこの電子手帳に携帯電話機能が入った機器ができる」と筆者は予測していた。ただし,コンピュータ業界と通信業界はそれぞれ経済産業省と郵政省が取り仕切っており,両者が一体化することはない,と主張する友人もいた。
当時,パソコンは30万円し,携帯電話は2万円ぐらいだった。パソコンの性能は年々2倍以上のペースで上がり続け,無線LANという機能を持つことで出先でも通信がしやすくなった。同時にインターネットが広がり,さまざまなデータベースへのアクセスもできるようになり,パソコンが情報収集の窓口としての地位を固めた。
一方で携帯電話はGPSを搭載し,ナビゲーション機能を提供できるようになる。ガラケーの時代からナビは筆者にとって欠かせないものになった。電話,メール,ナビが携帯電話の主な用途だった。文章を作成したり,情報を収集して蓄積する仕事はパソコンが担っていた。
ナビに必要な地図は,画面が大きいに越したことはない。筆者は当初,ノートPCに地図ソフトを入れ,GPSアンテナを接続して,クルマでナビ機能の実験をしたことがある。車載のナビは,専用のカーナビとして独立し,別の進化を遂げる。クルマのカーステレオなどを収納する1DIN規格のカーナビでは,画面寸法が7インチが最大だった。その後,この幅に収めない10インチのカーナビも多く使われるようになった。
そして,電子手帳と携帯電話と小型PCを合体したスマートフォンが登場する。もともとの携帯電話の2インチぐらいの画面から,4インチの電子手帳大となり,現在は6インチサイズが主流になっている。しかし,画面が小さいからといっても,画素数は1080 x 1920のフルハイビジョンも当たり前になっている。ノートPCと同程度の画素数を持ち,細かい字が見える人ならまさに手のひらサイズのPCが手に入ったようなものになる。
スマホは電話回線につながるのはもちろん,Wi-Fi無線接続もできる。しかも電話回線のスピードは,光ファイバーの有線ネットワークと同等まで高速大容量化している。街中で立っていても,オフィスや自宅でも,常時ネットワークにつながったままになっている。ノートPCの価格も下がって10万円~15万円ぐらいで十分の性能のパソコンを購入できるが,スマホも10万円越えが当たり前のように高機能化している。特に,搭載するカメラの性能が,コンパクトデジタルカメラを追い抜くほどの勢いになっている。
かつて,高速で文章を入力するにはキーボードが不可欠だった。しかしスマホのフリック入力はキーボード入力と同等の入力速度を出せるほどになっている。メモリーも十分に搭載し,何万枚もの写真や何時間の動画を簡単に撮ることもできている。
こうなると,常にスマホを携帯し,止まっているときはもちろん,歩いているときも電車に乗っているときも,常時スマホを触っていることになる。この文章の冒頭に書いたような不便な時代に初めてパソコンを手にした筆者にとって,今の状況は夢のようなのである。
しかし逆に,この常時スマホを使える環境が,おかしな方向に働いているのを感じる。歩きスマホ,クルマの運転中のスマホ操作,そして盗撮などの犯罪行為なども起きている。このときに使っているコンテンツは,ゲーム,エンタメ,買い物,投資,そしてカメラ機能だろう。また,ショートメールでの何往復ものやり取りも長時間にわたって使い続ける要素の1つである。普通のメールだと,1本発信したらそれで終わりだからである。
子供がぐずるのでスマホを与えて自由に視聴させている親も増えているようである。あらゆるコンテンツにアクセスできるスマホに制限がつけられない。
そしてスマホ所有者全員が,「情報発信者」になれるのがスマホの特徴である。コメントもそうだし,写真や動画を発信すれば,それは自分が「1次情報」を発信したことになる。
ただその情報発信が,これまでのマスコミによる情報発信と違って,何の考えもなく発信される危険性がある点が1つの問題である。プライバシー情報が拡散したり,逆に他人に対してハラスメントや差別になるような情報もありうる。さらに,意図的に間違ったフェイク情報を発信することもできるのが,もう1つの問題である。
ショートメッセージやSNSの世界では,自分の関心のあるテーマで自分に都合のいい情報に長時間触れる傾向が出てくる。これによって,適切な情報を得ることができなくなるフィルターバブルが起きるとも指摘されている。また,仕事中や学習中にもそれ以外の情報がやり取りされることで,仕事効率や学習効率が下がる懸念もある。
筆者にとって,インターネットは「お宝情報」の宝庫である。しかしそれは「知的向上心」を満たしてくれる存在である。かつて調べものをするのに,図書館に行ったり書店で本を探したりしなければならなかったものが,google検索を使えば数万という情報の候補が現れる。そこから,必要と思われる情報を選別して自分の知的満足度を高める作業を短時間でできるようになった。このブログでいろいろな情報を見つけては発信できているのも,インターネットのおかげである。
しかし世の中には,その情報との1秒の関わりをお金に変えようという人が増えた。アフィリエイト広告で収入を得られる道が開かれた。小学生の将来なりたい仕事のトップにYoutuberが上がったのも,時代の流れなのだろうか。その後,投資,詐欺,闇バイトと,インターネットに絡む犯罪がが増えている。
発信する情報も,偽情報(フェイク情報)が増えた。文字情報だけでなく,フェイク音声,フェイク画像,フェイク動画まで登場してきた。これらを見抜く方法はあるのだろうか。
筆者は,まずいったん,スマホを手から降ろしてみる必要があると思う。ぼおっと視聴していたら,必ず落とし穴に落ちてしまう,と考えて,あとは自分の頭で考えるというクセをつける必要がある。
スマホは情報を得るための道具であり,手段である。自分が主体となって,何が必要な情報なのかを見定め,情報を選別する力をつけなければならない。どうも,スマホ画面に魂を吸い込まれてしまっている人が多すぎるような気がするのである。
選挙におけるSNS利用で票集めに成功したかもしれないが,本当に支持をされたのかどうかは疑わしい。バーチャルな空間における一種の異様な雰囲気に飲まれているのかもしれない。テレビのようにチャンネルを変えたり,電源を切ったりできないからである。主体的に,スマホを見ない時間を作って,頭で考えないと,人格そのものを失ってしまうのではないかと危惧する。