jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

全自動洗濯機の謎を改めて考える--昭和家電の二槽式が優れていた点

一人暮らしの間は,近くの大型家電店で最安値の二槽式洗濯機を使っていた。実家でも二槽式だったし,使い慣れていた。場所も取らず,軽量で移動も問題なかった。

 家庭を持ってもしばらくはその二槽式を使っていた。1回の選択容量が2kgの少ないため,必然的に人別に何度かに分けて洗っていた。白い衣服と色物衣服を分けて洗うのも当たり前と思っていた。また,白い衣服を先に洗い,その残りの洗濯水で色物衣服を洗い,最後に雑巾などを洗うという流れが当たり前に思っていた。

 一軒家に引っ越したときも,この二槽式を一緒に持って行った。しかし,洗濯物の量が増えたこともあり,今風の一槽式の全自動洗濯機を導入した。現在は2台目である。洗濯容量も最初は5.5kg,現在は7kgと増えた。

 全自動洗濯機というだけに,洗いからすすぎ,脱水まで一気通貫にプログラムされている。当然のことのように,洗濯水は1回ごとに排出される。容量が大きくなったために,人ごとに分けて洗うということもなくなった。さすがに色物だけは別に洗うことになる。

 二槽式と一槽式では,洗濯の方法がまったく異なる。二槽式では,洗濯槽の底に取り付けた「パルセータ」という羽根が水を回転して洗うのに対し,一槽式では槽自体が回って水を回転させる。衣服の傷みが少ない方式になっている。一方で,二槽式を知っている身には,何だかただ水がかき回されているだけで,これで汚れが落ちるのかと心もとない。もちろん,洗濯洗剤もさらに改良されているので,問題ないのだろう。

 この一槽式の洗濯槽は,二槽式で言えば脱水槽を大きくしたようなものである。脱水槽と同じように,ドラムには穴が多数明いており,脱水時にはそこから水が遠心力で外に飛ばされる。しかし,洗濯時にはこのドラムの内側はもちろん,ドラムの外側の洗濯槽にも水が満たされた状態で回っていることになる。つまり,ドラムの外側の面と,洗濯槽側にも洗濯水が入っている。洗濯槽の中の大量の水の中に大きなドラムがあり,そのドラムを回転させるためには水の抵抗にも打ち勝つ大きなモーターが必要になる。

 さらに問題は,このドラムの外側の面や洗濯槽の内側をユーザーが洗えないことである。

 二槽式の脱水槽は,よくある話なのだが,脱水中の衣類が外に飛ばされて脱水ドラムの外側に入り込んでしまうことがある。しかし,脱水槽を少し傾ければ,底まで手が届く。脱水だけなのでこの脱水ドラムの外面や脱水槽の内側が汚れることはほとんどない。また,洗濯が終われば,洗濯槽も脱水槽もホースで水を掛ければ洗剤分を簡単に落とすことができた。

 ところが一槽式ではドラムの外側を洗うことができない。そこに洗濯アカやカビが生える。次に使うときにはこの洗濯アカやカビと一緒に洗濯物が回ることになる。

 月に1回は,このアカ取り,カビ取りをするのに発泡剤を使えと書いてある。確かに発泡剤を使うと,驚くほど大量の洗剤カスが取れる。しかし,洗剤カスを完全に落とすことはできないようで,何回ゆすいでもカスが浮いてくる。

 このカス掃除をするには,洗濯機を分解する必要があり,業者対応が必要だという。この一槽式全自動洗濯機の設計は,明らかな「間違い」だと筆者は思うのである。

 1つの方法としては,ドラムの外側に手が入るようにし,スポンジなどで手で洗えるようにすることである。これなら,発泡剤を何時間も入れてただかき回すよりも,数分で洗剤カスを落とすことができる。

 もう1つの方法は,洗濯槽洗浄モードのときに,ドラム外側を擦るブラシが出てきて,ドラムを回転されながら洗剤カスを落とす。同様にドラム側からもブラシが出て洗濯槽の内側をこすり,洗剤カスを落とす。

 つまり,洗剤カスは物理的にこすらなければ完全には落ちないのに,発泡剤で浮かせればいいだろう,という安易な発想で作られているのが,今の全自動洗濯機である。横型ドラム,斜めドラムなどのタイプも,基本的には同じ間違った設計をしていると考えられる。

 バスタブ洗剤で,吹きかけただけで30秒放置すればこすらなくても水アカが落ちる,という製品がある。確かに落ちているのだが,その使用する洗剤の量が半端なく多い。1ボトルで10回ほどしか洗うことができない。大量の洗剤を川に流していることになる。従来のバスタブ洗剤なら,1ボトルで100回以上洗えるのではないか。非常に環境に悪い製品だと思い,二度と購入はしていない。スポンジで擦ると細かいキズが付いて,そこにカビが生えやすくなる,という理屈は分からなくもない。しかし,筆者宅のような安いプラスチック製のバスタブならともかく,昨今は人造大理石や陶器のバスタブが多い。スポンジでキズが付くような材料はほとんどない。ならば,手を使ってスポンジで洗った方が,環境にも優しく,バスタブの不具合にも気づきやすいと思うのである。

 何でも機械任せ,薬品任せにしていては,人間の五感が衰えてしまう。手で洗い,包丁で材料を切ることで,材料の良し悪しも理解できる。食品に異物が混入する問題が多発しているが,衛生的と称して機械任せにして,その機械のメンテナンスをきちんとできなくなっているのが現状ではないのだろうか。

 クルマのペダル踏み間違いなど,もう10年も前から続いているように思えるが,一向に解決策が出てこない。こういう異常なパターンを認識してブレーキを掛けるといったプログラミングなど,それほど難しいとは思えない。これもメーカーの怠慢ではないか。

 相変わらず,機能を付ければ値段を上げられるだろうという設計思想が蔓延しているような気がする。ユーザーの立場に立ったモノづくりの精神はどこに行ってしまったのだろうか。