jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

耳にイヤホンでは注意しても聞こえない--馬耳東風というより「猫に小判」

歳を取ってしまっているのを感じる1つに,他人への文句が思わず口をついて出てしまうことが多くなった。前頭葉が衰えると,言葉の制御ができなくなり,あくびをしても「あぁあ」と声を出してしまったり,オヤジギャグが何の考えもなく出てしまったりするという。

 筆者の場合,クルマに乗っていると人格が変わるようで,危険な運転や不注意な行動をしているクルマに対して,結構な悪態をついてしまう。クルマの中という守られた閉鎖空間だからという気の緩みがあるのだと思うが,近年は悪質なアオリ運転に遭遇しないとも限らないので,なるべくガマンするようにしている(昔はクラクションを平気で鳴らして注意喚起していたが,法律違反だと認識してからはおとなしくしている)。

 しかし,もっと許せないのが歩きスマホである。スマホの画面に集中している(というか完全に支配されている)ので,周りの状況が見えない。電車の降車駅で出口の方に向かう人波の中で,周囲とスピードを合わせずにゆっくり歩いている人は,たいてい歩きスマホである。

 歩きスマホはなくならない--ネコにマタタビ - jeyseni's diary (hatenablog.com) (2021/10/27)と書いたのはもう3年も前になる。やめさせようとすればケンカになるな,と思って,当時は黙っているしかないと思っていた。ところが,最近は筆者が追い越しながら「チェッ」と舌打ちしたり,ボソボソと文句を言ったりしてしまうようになった。後で考えると「危ない危ない」と後悔するのだが,よく見ると以前に増して耳にイヤホンを突っ込んでいる人が増えている。いや,スマホ歩きをしている人のほとんどが,無線イヤホンを耳の穴に突っ込んでいる。

 これでは,言葉で注意しても相手には聞こえないはずである。頭に最初に浮かんだ言葉が,「耳」が言葉の中に入った「馬耳東風」や「馬の耳に念仏」という言葉だったが,いやいや馬は人の言葉をちゃんと聞いて理解しているので,これでは馬に失礼だと気づいた。むしろ「猫に小判」で,価値ある忠告をしても相手には伝わらない,ということとあきらめ気分である。今度は猫を引き合いに出して,これも申し訳ないと思う。要するに,社会生活に馴染めない人は,生物学上は「ヒト」であっても他の生き物よりも退化していると思えるのである。

 せっかく人類が発明した音楽や映画などのエンタテインメントに溺れ,社会共同生活ができなくなっている現実を見ると,自己中心的に戦争を続けることや,欲望のままに犯罪に走ってしまう点では,持続可能性を維持する他の生き物よりも劣っていると言わざるをえない。さらに生成AIに浮かれて,自ら考える能力すら放棄させるような人間放棄の技術に溺れようとしている現在,これは人類の滅亡を意味していると思えるのである。人類の考え方をサポートしてきたコンピュータが,人類を越える存在になりつつある。

 イヤホンを耳に突っ込んでのスマホ歩きは,ゲームや音楽,動画による人間コントロールの第1段階である。いずれ,人間の感覚に直接指示してコントロールする時代が来ないとも限らない(イーロン・マスクによるチップ埋め込み実験がその1例)。Apple Vision ProによるAR(拡張現実)ディスプレイも,相手が人間ではなくAIの作り出すアバターだったりする。フェイク動画だけでなく,フェイク人格も出てくる(アメリカ大統領選挙に立候補したAI候補がその1例)。

 筆者のこのささやかなブログが,響いてくれる人がいてくれることを願っている。