jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

男性に向いた職場は存在する--“火事場の馬鹿力”はアドレナリンが効く

職業選択における男女平等について,筆者は否定するつもりはない。実際,かつて筆者が提案した「女性だけの街」構想(男と女、本当に同じDNA なのか - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2020/7/6)では,市長以下,市民は全員女性で,末端の運営まですべて女性で構成したらいいと提案している。やりたい仕事を,男性に遠慮することなく,実施できるからである。

 しかし,仕事の内容が「力仕事」になると,圧倒的に男性が有利である。実際に発揮できる力は圧倒的に男性が強い。

 もちろん,女性の中にも力自慢はいる。筆者が小学生のころに,クラスで8割方の男子生徒が腕相撲で負かされていた女子がいた。筆者もまったく敵わなかった。力技を使うスポーツ,たとえば相撲,柔道,レスリング,重量挙げ,空手,体操,水泳などで,筋肉を鍛えた場合は,普通の男性よりははるかに力が出る。

 一般社会でも,昔から腕っぷしの強い女性が活躍していた職場はある。運送業のトラック運転手がその典型だろう。ほかにも,農業や漁業など,体を使う仕事で女性も力仕事をしてきた職場は現在でもある。

 しかし,一般の人が命を預ける場面がある仕事,つまり警察,消防,自衛隊海上保安庁,そして救急医療の現場では,「身体を張って」仕事をしなければならない。相手は自然の猛威であったり,人間の能力を越えた重さや熱さが襲いかかってくる。その中で,自分の身を守りながら人の命を助けるという使命を持つ仕事である。体力,腕力,精神力が問われる。

 さらに戦争ともなれば,兵士は自分の命を守りつつ敵を倒すか,自分の命を捨ててでも相手を倒すといった任務を果たさなければならない。肉体的にも精神的にも極限状態に置かれる。

 一般の女性の場合でも,守るべき命が自分の子供であれば,捨て身で行動するだろう。しかし,災害現場や戦場という特殊な場面において,“火事場の馬鹿力”が発揮できるのは,男性だと思うのである。

 “火事場の馬鹿力”は,アドレナリンというホルモンの作用といわれている。極限状態で副腎皮質から大量に放出され,交感神経を刺激する。一般に脈拍数や呼吸数の増加,体温の上昇,瞳孔の拡大,血圧の上昇,筋肉への栄養補給など,闘争モード,戦闘モードになる。

 一般の男性の場合,何の訓練をしていなくても,たいていは自分の身を守るために闘争モードに入り,相手と闘う道を選ぶ。多くの生物の縄張り争い,メスを獲得するための決戦のためにオスは戦いをするようにプログラムされているようである。

 一方で女性の場合は,身を守ることに終始することが多い。戦って相手に物理的に勝つような行動は取らない。平和的に解決する道を選ぶ。アドレナリンが放出されるにしても,冷静な行動が取れる。ただ,緊急時の“火事場の馬鹿力”が発揮されることは,残念ながら少ない。

 男性の場合,自分の腕がちぎれそうになるような相手の体重の負荷がかかったような場合でも,これを最後まで手を離さずにあきらめないための腕力,持続力,精神力,使命感などを発揮しようとする。まして訓練されたプロフェッショナルは,仕事として完遂しようとするだろう。アドレナリンによる高揚とともに、仕事の使命感、達成感などで満足感と幸福感を楽しむ。これは脳から分泌するセロトニンという幸福ホルモンの作用による。

 女性の場合は、幸福ホルモンのセロトニンが出るような解決方法を選ぶ傾向にある。力に訴えず,話し合いで解決する道を選ぶ。アドレナリン系の馬鹿げた行動は取らない。

 このため,一瞬の判断と瞬間的パワーが求められる緊急時対応には,無茶な行動を取れる男性が向いていると思うのである。

 別に,女性が危険の最前線に出ることを否定しているわけではない。出て行ってもらって一向に構わない。しかし,救難の最前線で,求められる力仕事ができるかと言えば,やはりそこは心もとないのではないだろうか。

 一般社会では,多くの男性は牙を抜かれたオオカミ,爪を切られたネコと同様,もはや単なる事務員や軽作業者である。アドレナリンを振りかざして馬鹿力を出す場面は極めて少ない。ハラスメントが禁じられ,女性にちょっかいも出せない。一方で,警察や消防,自衛隊といった組織の中での男性の考え方そのものがある意味で旧態依然としており,あらゆるハラスメントの温床になっている。危険と隣り合わせの最前線から一歩下がったところでの救護,看護などの活動には女性の参画が望まれるが,結局はトータルでみると男性優位な職場であることに変わりなく,しかもハラスメントが起きる危険性は極めて高い。

 戦争における異常な精神状態の中で起きてしまった女性への虐待行為と似たようなシチュエーションが,救援・救護の現場には存在しうる。気が高ぶっている男性が何をし始めるかは想像に難くない。そこで正義を振りかざしても,心の奥底には本能的な劣情が渦巻いている。その劣情を理性で抑えるのも限界がある。近年,その限界値が下がってしまっており,簡単に犯罪行為に走ってしまうケースが目立つのは,家庭環境や教育システムの歪から生じていると思われる。

 政治の世界も,永遠に平行線を辿り,妥協のない世界である。揚げ足取りも含めて,よくあれだけ誹謗中傷合戦を繰り返せるものだと感心する。それだけ,アドレナリンが必要な職場である。結局は,多数決の原理で結論が決まる。論理で解決できない世界である。平和的な解決を求める傾向にある女性に向いた仕事とは思えない。

 議員という話し合いの場はいいが,結局は結論が出ない。そんな世界はやる気が出ないのではないか。