jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

危険運転か過失かの個人的見解--一般道の30km/h,国道級の50km/h,高速道路の80km/hが妥当と思える件

時速195kmで走行中に,右折車に衝突し,相手を死亡させた事故で,一審の過失致死での起訴を二審で危険運転致死に変更した裁判が行われている。裁判員裁判となるようで,一般人の感覚が判断の材料の1つになる。

 そもそもなぜ,クルマの道路に制限速度が設けられているかというと,危険を認識してから回避できるギリギリの速度だからである。

 人間の危険回避行動の時間は,1.25秒といわれている。ここにさらに「予測」という「危険かもしれない」と思うことで,この時間を0.75秒まで縮めることができるという。

 一般道の30km/h,国道級の50km/h,高速道路の80km/hでそれぞれ,1秒間に進む距離を計算すると,それぞれ約8m,14m,22mになる。一般に,気づいてからブレーキを掛けて止まるにも,これぐらいの距離が必要になる。

 一般道では,信号での加減速,歩行者,自転車などの要因があり,普通はずっと注意を継続している必要がある。基本的には「予測」運転をしていなければ,事故の可能性は高まる。

 ところが高速道路や夜間など交通量が少ない道路では,障害物が少なく,注意散漫になりがちである。それでも高速道路は他の障害要因が少ないので事故は起きにくいが,いったん事故になった場合の被害は大きくなる。それもあって,「車間距離100m」が必要とされている。

 いずれも理由のある数字である。筆者は以前は目が良くて,あらゆるものがはっきり見えていたが,それでも高速道路のスピードになるとモノの外形がぶれて見えるのが怖いと思った。現在は老眼なので,車外の遠くを見る分にはそれほど不自由ではないのだが,乱視が加わって標識の文字がやや見えにくくなっている。その分,スピードは控えめになっている。それが当たり前だと思うのである。

 筆者の感覚から言えば,制限速度を超える時点で基本的に道路交通法に対して違法行為である。ある程度スピードを出して流れに従う必要がある状況でも,ドキドキしながらアクセルを踏んでおり,必要がなくなれば速やかに法定速度まで下げる。これが当たり前である。

 「過失」とは注意義務を怠って結果を発生させてしまうことである。この場合の注意とは,制限速度を意識することと,周囲の安全を確保することだと考えると,制限速度を意識していない状態は常に過失になる。制限速度が,危険回避のための基準だと考えれば,制限速度を超えた運転は,常に「危険運転」である。自分に対する危険ではなく,周囲に対する危険である。

 過失という言葉に「うっかり」という意味合いが重なることに,問題がややこしいことになるのではないかと思える。故意が「意図して」という意味があるとすると,意図していなければうっかりになるという論法が成り立ち,意図的に速度超過していない,意図的にぶつかっていない,相手を死に至らしめる意図はない,と言って言い逃れするのが,現在の弁護の常套手段のように思える。

 そもそも,相手を死に至らしめるためにクルマを運転する人はいない。すべて自分の移動の利益のためである。制限速度50kmの道を60kmで走っていたとすると,うっかりスピードメーターを見ていなかった,という理屈は成り立つ。しかし,195kmで運転する場合,常識を越えているが意図的ではない,という理屈を成り立たせようとする弁護があまりにも常識ハズレだと感じる。