jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

ソーシャルディスタンシング再考

COVID-19コロナウイルスの感染対策として、マスク、手洗い、換気とともに重要なのが、ソーシャルディスタンシングである。デルタ株の蔓延以降、マイクロ飛沫による感染拡大が最大の問題になっている。換気は一番大切だが、その次にできることとしてのソーシャルディスタンシングについて、もう一度その意義を考察してみる。

 そもそも、相手と距離を取るのは、生物としては基本的な本能である。草原で草を食べているトムソンガゼルと、そこから10m先にライオンがいるという想定でも、トムソンガゼルはライオンの攻撃から逃れることができる。したがって、このソーシャルディスタンシングの中に入らないように常に距離を取るように移動する。食事に集中し過ぎて、この距離の中にライオンが入ってしまうと、後はトムソンガゼルとライオンの動き始めのタイミングと双方の脚の速さ、ステップの的確さ、周囲の障害物などの条件によって勝者が決まる。負けた方は死が待っている。

 COVID-19感染対策としてのソーシャルディスタンシングも基本的な考え方は同じである。そして、相手によって距離がある程度異なる点も同じである。排気量の大きな大柄な男性やジョギングしている人、マスクの付け方のいい加減な人、ベチャベチャ話し続けているひとたちのからは、より長い距離を置くべきである。

 そして、COVID-19の厄介なところは、このソーシャルディスタンシングの取りミスが「死」に繋がる可能性があることである。また、トムソンガゼルのように犠牲者になるのと同時に、陽性者はライオンのようにスプレッダーになる確率が高い。意図しなくても、感染拡大に荷担してしまう。ライオンというより、ゾンピに近い。

 生き物が持つ本能によるソーシャルディスタンシングに加えて、ヒトの知性によるソーシャルディスタンシングも必要である。なにしろ、陽性の可能性のある人たちが意図的にさえ接近してくるのがヒトは社会だからだ。この危機からは、理性を使って意図的に距離を置く必要がある。なんとかこのソーシャルディスタンシングを取らない、あるいは意図的に近づいてくる人たちを排除できないものだろうか。