メディア人として40年。こんな中途半端なタイトルを付けることに抵抗があるが、「意味シン」を装った方が閲読数が増えるかもしれないと思って、敢えて今の風潮に合ったようなタイトルにしてみた。
電車がホームに滑り込んで来る。筆者は「電車が参ります」アナウンスでスタンバイする。スマホを操作していたら、データを保存し、電源を切って、ケースを畳んで、ポケットに入れる。カバンを持ち、体勢を整えて、電車の入線を待つ。後ろに並んでいる人に押されても困るし、ひょっとしたら、電車の窓から日本刀を突き出して来る殺人者がいるかもしれない。そんなことを思いながら、電車の入線を迎え、何ごともなかったことにホッとして電車に乗るのである。
しかし、最近はみんなスマホの画面をじっと見ているままでピクリとも動かない。電車のドアが目の前に来てようやく顔を上げる。スマホの画面はそのままである。ドアが開くまでの時間はわずか2秒。
電車を降りる時も同様である。電車が停まって、ドアが開く直前に、ガバッと席を立って降りようとする。いや、それはまだマシな方かもしれない。ドアが開いてから、おもむろに立ち上がって降りる人も1人や2人ではない。いざ乗り込もうとしたら、次から次へと人が降りて来る。そのたびごとに乗ろうとする足を止めなければならない。
3秒後を予測して行動しようと提案しているが、2秒はその予測を超える出来事なので、衝突が起きてしまうのである。
予測も一通りではなく、10手ぐらい先を読まなければ生きていけないなと感じた。こんな筆者が鈍感なのだろうか。