jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

歩ける喜び--おそらく自己流整体法によって子供のころに左脚に力が入らなくなったことからの回復プロセス

人生60年を過ぎた。実は今、とても歩みが軽い。これまでの中で最も快適である。

 モノゴコロがついた小学生のころ、すでに走るのは遅かった。走競技は全員参加の競技のみ。あとは借り物競争とか、棒引きとか、トップスピードを求められない競技だけだった。

 ボーイスカウトで山歩きは頻繁に出掛けた。しかし、山道を歩くのもあまり得意ではなかった。土の道では何度も滑って転んだ。背中に入れていたタマゴのパックが飛んでいって、全部割れてしまったことも思い出す。

 記録を出せたのは高校生の時である。何だかそのときは脚が軽くて、初めて50mで7秒台が出た。後にも先にもこのときのまぐれの1回だけである。

 大学で出会ったスキーにはまった。社会人になったらさらに趣味が高じて、1シーズン12月から始まって5月のゴールデンウィークまですべての休みをスキーに出掛けた。30日超という年もあった。

 毎年、実力試しにスキー検定を受けた。あと2点といったところで合格できず、とうとう取れずにぎっくり腰で断念した。しかし実に楽しい10年だった。

 このときも、結局、脚の調子が良くなかった。左脚が体重を支えきれない。スキーはなんとなくゴマカシが効くが、スケートは最悪だった。親になってから娘を連れてスケート場に行って、滑って自分の手首にまともに乗っかり、数ヵ月痛い思いをした。

 左脚にうまく体重を乗せられないのを一番実感したのがスキーだった。利き足ではないからと思い続けていたが,ここのところのストレッチなどの自力の訓練によって徐々にではあるが明らかに快方に向かっていることを考えると,何らかの原因があったと考えている。筆者の子供のころはまだ小児マヒも普通にあったから,これが原因かもしれないが,今考えれば,親の素人整体法のモデルにされたのが原因だと思っている。親には悪いが,そもそも子供が成長すれば直るであろう身体の多少の歪みに大人の整体術を当てはめたことが間違いである。昔はスポーツ指導も含めて非科学的な考え方がまかり通っていたから,その犠牲になったと思っている。だから今,自力で直そうとしているのである。

 還暦を過ぎてまだ仕事を続けられているのは、まあ今の時代としては幸せかもしれないが、健康第一で無理をしてこなかったことも大きい。ストレスのある職場から何度か逃げて、経済的には苦しいのだが、精神的にはハッピーである。

 健康のうち、1つの目標が「開脚」である。目標に掲げてもう5年になるが、これはまだできない。

 その代わり、股関節とかがかなり動くようになった。階段を上がるときも、膝がスッと上がる。降りるときは、ぐっと膝が支えてくれる。ドタンドタンではなく、ムニュッムニュッという感じである。

 面白いことに、足の裏の感じ方も変わってきた。これまでは足の裏全体が1枚のソールのようだったのだが、今は親指の付け根も人差し指の付け根が独立して体重を支えている。例えば道路の傾きや凸凹も分けて対応しているのである。

 生き物の身体は実に複雑だなと感じる。股関節や肩関節のようなどこにでも向くような構造を機械で実現するのは難しい。まして、これを駆動する方法は至難の技である。

 これを、軟骨というクッションと、関節液という潤滑油と、腱と多数の筋肉で構成する。工学的にはかなり無駄な感じもする。実際、よく言われるインナーマッスルが使われていないケースも多い。筆者の場合もこのインナーマッスルが凝り固まっているのを感じる。現在はまだ凝りほぐし中というところである。

 肩凝りで首を傾けてコキッとすると気持ちがいい。実際は首には細かい神経や血管が走っているので、この行為は危険とされている。股関節もあまりやり過ぎると歩けなくなるかもしれないという恐怖がない訳ではないが、いまのところ相当負荷をかけても大丈夫だった。なにしろ、肩たたきの代わりに鉄アレーでとんとん叩いていたほどである。まあ自分の身体と相談しながら、マイペースで進めるのがいいだろう。

 あと1ヶ月で凝りがほぐれるだろう、などと繰り返し思いながらもう5年は経つ。なかなかしつこい。なにしろ50年間凝り固まったインナーマッスルである。揺り戻しもきつい。あと1本がなかなか抜けないのである。

 骨に刺激を加えると骨粗鬆症になりにくいという。まさに今は刺激を与えているところである。こちらにも効果があってほしいと思っている。

 今では左右の脚の感覚が同じに近づいている。なかなかこういう経験はできる人は少ないだろう。貴重なのでまたレポートしていきたい。