2022年はなんだか,元旦からニューイヤー駅伝(実業団対抗駅伝),2日3日と箱根駅伝を最初から最後まで観戦することができた。ニューイヤー駅伝では,Hondaが初優勝,箱根駅伝では青山学院大学が2年ぶりに優勝した。
翌4日は,青学の原晋監督と選手が各局でインタビューに答えていた。「昭和の時代の練習の真逆のことをしている」という監督の言葉が印象的だった。また,「1秒の間に何度も作戦を考える」という飯田キャプテンの言葉も印象的だった。
筆者が運動するといえば,短距離走にしても長距離走にしても,またその他のボールゲームにしても,ただひたすらその瞬間のベストを尽くすだけで,結果が付いてくれば儲けものぐらいの無策な攻め方だった。まさに昭和時代の感覚である。今は,一瞬一瞬で次のことを予測しながら,自分や相手との駆け引きをしながら攻めるのが当たり前のようである。
そういう意味で,あらゆるゲームは苦手である。先を読むのも苦手だし,反射的な動作をしなければならないゲームも動作が繰り返しになるのが苦手である。レーシングゲームも,アクセルはベタ踏み状態でハンドルだけで操作する。シューティングゲームも,ただひたすら撃ちまくるだけである。
レーシングゲームは,基本的に自分の視界の正面を見ていればいいが,昨今のRPGなどは右も左も後ろも見なければならないし,自分を中心としてどんどん周囲の景色が動いていってしまう。そうした中で,闘うのか,逃げるのか,武器を買いに行くのか,といった選択肢を選ばなければならない。時分や相手との駆け引きは苦手である。
トランプでも,ひたすら手持ちのカードを減らすことだけに意識が行って,どこにジョーカーがあるとか,相手の心理を読むとか,そういう駆け引きは極めて下手くそである。
結果として,勝つことはまずないので,さらにゲームが嫌いになる,二度としない,ということになるのだろう。電車の中や家でひたすらスマホゲームをしている人を見ると,昔から批判ばかりしてきたが,ITに順応しているという点では進化しているのかもしれない。筆者の方が時代の流れに取り残されているのかもしれないと思うようになっている。
お正月と言えば,昔はスゴロク,ちょっと前は人生ゲーム,今は桃鉄(桃太郎電鉄)あたりがよく遊ばれているようだが,この系統のゲームも駆け引きになるのでやはり苦手である。
こうゲーム嫌いになると,これからの高齢者の仲間の中でどう生きていけるのか,不安になっている。というのも,ボケ防止のための「脳トレ」系のゲームをさまざまな場面でさせられる可能性が高いからである。介護施設でも勧められるだろう。おそらく途中で放棄することになるのだが,すると健常な老人とは見なされず,認知症予備軍のレッテルを貼られてしまうかもしれないと恐れているのである。
同じように,運転免許証更新の際にも,反射神経のテストや認知症の検査も行われるだろう。なんだかこういうゲームのようなもので評価されるのは嫌だなと思ったりするのである。
お正月も,家族は桃鉄を楽しんでいた。筆者は5分ぐらい横で見ていたが,「これは自分にはダメだな」と思ってリビングから自室に戻った。カミさんは,息子たちに教えられながらスローペースで参加していたが,楽しかったと言っている。いずれ介護施設に厄介になるような日には,「ほらほら,とにかくやってみましょう」と逃げ場がなくなるのだろうと想像すると,ゾッとする。健康,健脚,健ブログで,「ピンコロ」(ピンピンしている間にコロッとあの世に行く)を目指して,とりあえず執筆の世界とテキストの自動処理のあたりで頭を使って自主トレーニングに励みたいと思っているのである。