大雪や山火事,地震,津波など,自然の力による災害は一度に広域を襲う。人間の築いてきた文明が,いかにはかないものかを思い知らされる。トルコ南部からシリアにかけて起きた大地震の死者数が2万人を超える大災害となってしまった。阪神淡路大震災もそうだったが,冬場の天災は一層過酷である。支援の手が早く伸びることを祈るばかりである。
2022年~23年の日本の冬は,雪が同じ場所に続け様に降る線状降雪という言葉を始めて聞いた 2023年はどんな年--世界の紛争仲裁,エネルギー,食糧問題に日本が手を挙げなければ地球は滅びる - jeyseni's diary 2022/12/30。雪は,スキー場や温泉などでは冬の観光資源としては重要であり,また春以降の農産物の生育や,夏の水資源としても必要不可欠なのだが,街中では常に厄介な存在とされている。また交通インフラにとっても,厄介な存在である。
それにしても,雪と人の闘いは長い。火という文化を使いこなし,知恵の代償に身体の体温調節機能を退化させた人類は,冬の寒さに適応できないので,何らかのエネルギーを使って生き延びなければならない。その最も原始的な方法が,火を使うことである。
火を作る材料として,最初は草や木を長い間使い,やがて燃える石である石炭,そして燃える水である石油を使い始めた。木材から作る木炭や,動植物の油分を使う文化もあるが,大量に火を使うには石炭と石油の登場を待つしかなかった。
この石炭と石油の消費による文明開化から150年という短期間で,それまでの数億年分の動植物の化石として固定されていた炭素が燃やされて二酸化炭素となって放出され,これによって地球が温暖化するという皮肉な結果になっている。
石炭と石油の大量消費の最大の理由は,電気を使うことである。おそらく1という電気エネルギーを作るために,その10倍以上の石炭,石油が必要であり,さらにその材料を採掘したり精製したり運搬したりするためのエネルギーまで考えるとさらにその10倍ぐらいの無駄遣いをしているのではないかと思う。
この電気エネルギーの利用により,人間の活動は100倍も1000倍も増えた。100年前,150年前の人間が,現在の生活を見たら目を回すことだろう。
筆者が現在,パソコンに向かって書いているブログも,パソコンに電気の供給がなければできないし,そもそもパソコン自体が電気システムの塊であり,その部品1つ1つも大量の電気エネルギーを消費して作られている。また生み出された情報をインターネットに発信するにもさまざまな電気器具が間に存在し,それらもみなほぼ100%,電気エネルギーで動いている。冬場なので,暖房も使っており,そのエネルギーは基本的に電気である。
2020年に世界に蔓延した新型コロナウイルスによって,人々の移動が制限され,経済活動も縮小したにも関わらず,排出される二酸化炭素の量は減ることなく増え続けたという。人類が,移動するという行動を仮に半分に制限していたとしても,地球の環境の改善は起こらなかったということである。
筆者としては,現在の第8波の中で続けているテレワークによって,移動のためのエネルギーの削減に協力しているつもりだが,自宅での暖房,照明,ITなどで使う電気は減らすことができない。何か根本的な変更,いわゆるパラダイム・シフトが必要だと思うのだが,この慣性力は止めることはできないというあきらめが先に立ってしまう。
先に書いた自然災害のうち,山火事や地震,津波などによる被害が出るのはいちおう50年に1回ぐらいだと仮定できる。毎日地震が起きるような火山島なら,人はそもそも住んでいないからである。これらの災害は「起きたら仕方がない」「命を守る行動を取るしかない」と考えるしかない。災害が起きない場所を特定できないから事前に逃げようがないからである。地震はどこでも起きるし,海に近ければ津波の恐れはいつでもありうるが,水産資源も豊富で風光明媚な海沿いに住まないという選択肢はない。
海から離れた山沿いでは,今度は土砂災害の危険性が高くなる。残念ながら,日本の森林管理は疎かになっており,そこに住む人も森林と関わることがないため,山を守るための知恵がない。昨今のような大雨,特に線状降水帯による連続した大雨に対応できる地域は,もはやどこにもなく,どこでも山崩れ,がけ崩れ,土石流などの土砂災害は起きる可能性がある。護岸工事が完璧に行われている川沿いでも,高度成長期に整備された堤防はすでにほぼ老朽化しており,国が管理する一級河川ですら堤防決壊が各地で起きている。あらゆる危険を考えていると,住む場所がなくなってしまっている。
その中で,雪と雨は基本的に大規模な被害が毎年やってくる可能性のある災害である。特に雪は,「コントロール可能」な要素を多く持っていると思えるのである。筆者自身が雪国に住んだことがないのだが,もし雪国に移り住んだなら,これまでにこのブログでいくつか提案しているような雪害対策を,すぐにでも試してみたいと思っている。それは,実際に雪の怖さを知らないから言えることかもしれないが,しかし何もせずに手をこまぬいていては始まらないように思うのである。
たとえば,エンジン式の除雪機である。筆者にいる地域では5年に1回ぐらいしか積雪がないので,自腹で買うほどのニーズがないので,自治体で買ってみんなで共有することを提案した。しかし,おそらく雪国に住むことになれば,自分で購入すると思う。そして可能な限り広い地域の雪かきを率先して行うと思う。除雪機に巻き込まれて亡くなる事故も起きているが,それは慣れの問題もあるだろう。しかし,雪国の中継を見ていて,だれもこの小型のエンジン式除雪機で除雪をしている様子が映らない。老人がシャベルで苦労しながら雪かきしている様子だけが放映される。それこそ一家に1台,除雪機があれば,あれほど大雪に困ることもないのではないかと思ったりするのである。
雪がもう1つ扱いやすいのは,解かせば勝手に流れて行ってしまうことである。あとあとの被害や影響を考えれば,早い段階でエネルギーを使ってでも雪を解かす方に力を使った方がいいと考えるのである。
雪国では,雪かきして集めた雪を排水溝に流せるようにしているところが多い。しかしこの排水溝の穴まで雪を持っていくのが大変な労力を必要とする。年寄りには難しい。しかし,雪をどんどん解かしてしまえば,あとは排水溝に勝手に流れ込んでいく。排水が凍る可能性も否定できないが,逆に流れていく途中の雪も一緒に解かす効果も期待できる。融雪パイプは,道路だけでなく,それぞれの家の屋根や家の周囲に設置して,どんどん解かした方がいいのではないかと考えるのである。
屋根に融雪パイプを設置すれば,雪下ろしの手間を省ける。屋根に融雪パイプがなくて雪が積もってしまった場合,筆者としては屋根に上るよりも,下からホースで水を掛けて解かして落とした方が楽だと思うのだが,なぜか放水で雪下ろしをする光景を見かけない。筆者はこの屋根の融雪のためにはお湯を使い,そのために湯沸かしのためのガスや石油の利用は合理的だと考えている。
というのも,下手に水を撒いてシャーベット状になった雪は,一番厄介だからである。おそらく,普通に降った雪の3倍以上の重さになり,運ぶことも大変なら,そのまま放置すれば完全に氷になってしまい,さらに除去が難しくなるからである。筆者も,「水を撒いて解かせばいいじゃないか」と思って歩道にホースで水を撒いてみたことがあるが,雪はなかなか解けず,かえってぐちゃぐちゃになって,通行する人に迷惑を掛ける結果になった経験がある。速やかに解かすためにはお湯を使う必要があるが,ただこれは街中で協力して,領域を分担してお湯を使うという協力体制がなければ,さすがに1軒が自腹で歩道全体にお湯を撒くわけにはいかない。
お湯で解かすのとは別に,高温のメッシュで雪を解かす方法もあると思う。というのも,鉄板だと解けた雪と水がシャーベット状になって流れ出してしまい,その後の処理が難しいからである。メッシュだと,解けて水になったものだけが流れ出すので,シャーベットで残るよりも扱いやすいと考える。
いずれにしても,雪国経験のない筆者にとっては,頭で空想するだけの空論にすぎない。手動式の除雪機も,頭で考えて導入し,実際に使ってみて初めて優れている点と欠点がわかったところである。やはり何事も実験してみないと分からない。
このブログを雪国の方に読んでいただき,ぜひいろいろと挑戦してほしいのである。今年,ドローンで融雪剤を撒いて屋根の雪下ろしを実験した記事を見て,非常に嬉しかったので,さらにエールを送るために,今回のブログを書くことにしたのである。